ある人へ向けて

自分が心の病であると受け入られずにいる人も、多いと思います。

私が抑うつの状態に入ったのは約7年前、悪化しだしたのが3年前くらいだから、自発的な治療にこぎ着くまで5年かかっています。
それも、最終的にパニックになったから、子供もいるし仕方無く病院を予約したという具合です。
私は心の病である自分を認めたくなかった期間が非常に長く、今こうして公言できるようになっていますが、それができるようになって、まだ2ヶ月もたっていません。

それだけ「インナー世間様(マザー)」の反応が怖かったんです。

病んでるって思われたら恥ずかしいとか、外部の人間に弱い人だと知られてしまうのではないかと、私は見えない相手に怯えていました。
以前円形脱毛症で抑うつや不眠の酷かった時期に、家族から
「キチガイ」
と言われたことがあります。
それも、大きかった。
彼らもまた、心の病である人が「弱い人間」だと、目に見えない誰かを基準とした批判を私に向けたのだと、今は思います。

抑うつの状態を認められないのは、そんな自分を否定するからです。
「インナー世間様」の気に入る「自分」を作り上げようとして、つい弱くないフリをしてしまう。
でも、弱い自分だって、大切な本当の自分なんです。

「実はずっと抑うつ状態でした」と私から聞いた人が、私と縁を切ったり、または笑うことがあったとしたら、それは私の責任ではなく、相手の心の問題がそうさせているだけなのです。
だから、自分という人間が強くなくたって本当は問題ないのだし、世間のイメージする「男らしく」「女らしく」ある必要なんてまったく無いと、今の私は思っています。
だってそれは…私の(または親の)作り上げた「世間」の勝手な「期待」なのだから。
「期待」にこたえなくても、自由に生きていいんだと、私は思います。

今私は「私」として生きることを、練習しているところです。

それは、相手にはっきりと自己主張できる「私」だったり、相手の無理な期待をあえて読み取らない「私」だったりします。
相手の無理な期待と書きましたが、これは私が勝手に読み取っていた相手の「気持ち」です。
この人今私にこうして欲しいんだろうな、と気持ちを読んだりすることは、ある意味日本の文化なのかもしれません。
それを、あえてしないということです。
要望は口に出さないと、愚痴になります。
それが溜まると、ストレスになります。
しかし、相手の気持ちを勝手に読んで、自分の要求を口に出したら相手が嫌な気分になるんじゃないかと、私はずっと怯えていました。
そして、自分の方が嫌な気持ちを抱え込みすぎて、最終的には自分が潰れてしまいました。
気持ちを読み取らなくなっただけでも、私は生きるのがずいぶんラクになりました。

大嫌いで顔を見ると震えてしまうほどフラッシュバックの酷かった相手と、先日普通に会話することができました。
抑うつの悪化の原因となった人です。
私はもう、その人に憎しみは抱いていません。
また何か言われるようなことがあったら、私ははっきりと言い返せる自分がそこにいるんじゃないかな、と、思っています。

だから、どんな人でも希望は捨てないで欲しい。
大切なものを失うような選択をしないで欲しい。
ちゃんと道は開けているから大丈夫だと、大切なものを守るためには自分をきちんと見つめて傷ついて病んでしまった自分を受け入れることが大事だと、私は伝えたいです。


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2009年06月26日 Posted byJJ at 17:15 │Comments(0)AC

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