潜在意識 夢

昨晩怖くて面白い夢を見ました。

私の実家の家族や主人や息子が、カルト宗教に入信してしまう夢。
楽しそうに皆笑っているのが不気味で、私は入信を勧めた人物と必死になって闘います。
ハサミ投げたりして(ambivalence!)。
そして闘うためには「単語」を組み合わせたコードネームが必要だと知ります。
私の名はcourとcourでCC。


朝起きて吹き出してしまった。
入信を勧めた人物がいつも荷物を配達してくれる佐川のおじいちゃんだったから。
まぁ仮の姿とはいえ。
で、驚いたのがcour。
courとはcourageかな…と思いました。
精神的な苦痛にも耐えられる勇気という意味です。
courが心を意味し、ageが力だそうです(辞書によると)。
courageなんて単語、15年振りに見たなぁ。
きっと頭の片隅にあって、退化してるから半分しか出てこなかったのかも。
もしくは今まで心が爆進しすぎて、力がついていけてなかったということか。

私から見えていた世界、だったのかな、これは。

面白い夢でした。
  


2009年10月31日 Posted by JJ at 02:17Comments(0)AC

お医者に褒められた

今の病院はまだ通院3回目。
私の人生で5軒目となる心療内科(精神科)です。
ちなみに…5軒のお医者さんともアダルトチルドレンという概念には否定的です。
私は以前の4軒の医者には「やっぱりわかってもらえなかった」と落胆して通院をストップしてしまいましたが(中には診察拒否もあるけど)、今回は先生と話がきっちりできたと思います。
「アダルトチルドレンなんて言ったら、日本全国みんなアダルトチルドレンだよ」
先生はそう仰いました。
多分以前だったらこの時点で涙目だっただろうなぁ。
でも私は実際傷ついていますし、現に日常生活に差し障りがあります、みたいな感じで論点がどんどんズレて、堂々巡り、みたいな感じ。
でも、今回は違いました。
カッコ内は私の心の声…そこまでキリッと発言できるほど、まだ成長していないので。
「(アプローチの仕方は、先生と私とでは違ったようですが)どうやら私は病気の正体に自分で気づいた気がします。私は『他人のせい(他人依存)』という気持ちに病的に囚われていました」
その時先生が本当に嬉しそうな顔をされました。
「いや、素晴らしい。本当に素晴らしいよ。よく自分で気づいたね」
初めて精神科医に褒められました。


アダルトチルドレンで実際今苦しんでいる方も私のブログを読んで下さっているだろうから、私はこれを書くのに迷いがありましたが、このケースは私の病に対して私が到達した「答え」です。
だから、苦しいときは、思い切り他人に甘え、支えられ、愛情をたくさん貰えばいいのだと私は今でも思っています。
私もそうしました。
そうして『心』を持つ人間は子供から大人へと成長していくのだと私は思います。
愛情が干上がっていたら、いくら病気の正体の説明されたって解りっこない。
当然。

しかし、静岡県内(市内?)はアダルトチルドレンに対して否定的なお医者さんが多いですね。
私は自分で本やネットを活用して、仲間と出会い、今こうしてお医者とも話が出きるようになりました。
自分でもよくあきらめなかったなぁって思います。
頑張ったね、私。と、初めて…いや出産の時と同じように、自分が愛おしい。
実際のところ、斎藤学医師の本との出会いから私は回復が一段と進んだので、やはりアダルトチルドレンという概念と愛情渇望という症状は必ずあると思うんですけどね…
その部分を正当に主張できたら万々歳ですが、まだまだ先は長いようです。
  


2009年10月30日 Posted by JJ at 13:57Comments(0)AC

ambivalence

ambiは両方を意味し、残りはラテン語で「力」を意味する。

ambivalentとは相反する気持ちを持つ、つまり気持ちがはっきりしないということで、ambivalenceとは矛盾した感情という意味です。

私は最後の大きな大きなアンビバレントを乗り越えました…多分 笑

私の矛盾した感情とは、貧富の差や学歴の高低など、そういったものに引き裂かれた感情でした。
それは常に『何が真実で何が嘘なのか』を問う状態であり、自暴自棄はその答えが見つからない時に起こります。
と言うことは、常に自暴自棄であり、常に生きていることがつらい、ということです。

私は矛盾したものに答えなど無い事を知りました。
答えは自分の中にあり、それに気づいていなかっただけなのです。
自暴自棄な恋愛をしたり、仕事が長続きしなかったり、結婚生活に悩んだり、子育てに悩んだり…答えに気づいていなかったので、悩みっぱなしでした。

私が「好きだ」と思えば「嫌い」というもう一方の気持ちが現れる。
その矛盾。
他人を受け入れているようで、信用していない自分。
社会を信用しているようで、信用していない自分。
相反する自分がたくさん。

私は自己を受け入れることにより、他人を受け入れることができるようになりました。
そこに至るまでは、まず愛が枯れている自分にたっぷり愛情を注ぎ、愛が溢れたら周りの人にもお裾分けし、同時に溜まりきった私の腐敗した負の感情を吐き出して、ようやく最終地点まで来たように思います。

これを『魂の成長』と呼ぶことができるなら、そうなのかもしれません。
私は今まで私に関わってくださった人、それがどんなに危険で非情な人であっても、私自身を取り戻すために関わってくれてありがとう、という思いに至りました。
そして、危険や非情にも意味があるのだと、今は気づいています。

『自分が正しい』と狭い檻の中に自分を閉じこめると、出来事が歪んで見えてきます。
自分を自由にすることにより、相手も自由になる…それが人間の「幸せ」なのかもしれません。
(ああ、これはまさしくユング先生が書いてくれてあったことだな…)
  


2009年10月28日 Posted by JJ at 14:15Comments(0)AC

17歳のカルテ

ウィノナライダー主演の映画です。
原題は「Girl,interrupted」。

何度か見ているのに、今見る方が自分の過去と重なり、切なくなります。
この作品は境界性人格障害と診断され、女子精神病棟に入院した女の子の回復までの話。
アンジェリーナジョリーがすごく怖い。
でも、魅力的。

私は今まで時間の混乱というものがよくわかりませんでした。
今を生きているのか、過去に囚われているのか。
そして未来も過去と同じような気がして。
普通の人が時間をどう感じているのか知らなかったので、全く関係ない場面で感情がなぜ揺れ動くのか、わからなかった。
この作品は時間感覚の混乱を映像化しているので、健康な方が見たら分かりづらいかもしれません。
私の内面もそんな感じで、過去や現在を行ったり来たりしています。
それでも、最近は現在にいる時間が長くなってきたように思います。
  


2009年10月26日 Posted by JJ at 13:57Comments(0)その他

10月26日の記事

両親への怒りが消失し、主人との関係が不自然であることに気づいてから、私はあることに気づきました。
両親への恐怖です。
特に母。
今日電話で話したのですが、母の口調が変わった瞬間に私は
「あ、また地雷を踏んでしまった」
と思い震えました。
今まで怒りで隠れていたのですが、幼い頃感じた、恐怖。
私は電話を切った後、動悸が激しくなっている自分に気づきました。
発作には至りませんでしたが、あの頃の恐怖が蘇り、しばらく震えてしまいました。
フラッシュバックです。
主人との共依存関係に気づいた時も、このフラッシュバックが起こり、どうかなるかと思いました。
その時私が思ったことは、母からの「私より幸せになってはいけない」という嫉妬です。
多分これは、私が幼い頃歪んでキャッチしたものだと思うのですが。
私は父似で、父からも気まぐれではあったけれど愛情を注がれていたので、母がかわいそうだと思いこんでいました。
私は母が気に入るような生き方、つまり、母よりも不幸せになることで母の機嫌をうかがおうとしていたように感じます。
私は両親とももちろん共依存関係です。
そうしながらも、自分本来の希望する人生を歩んでいないことに、私は薄々気づいていたのではないかと思います。
虚無感を常に感じ、耐え難い寂しさに耐えられず、愛を求めて依存へと走ったような気がします。
依存相手は母の選んだ父よりも劣ってなくてはいけないという決まりがあり…とても嫌な言い方ですが、学歴や家庭の経済状況も父より下の人ばかり。

昨日の西尾和美先生のアファメーションは、キツかったです。
価値観の違う人となぜ一緒にいようとするのか?
というような内容で、例えば政治経済美術などに興味のある人と、スポーツなどに興味のある人では葛藤が生まれる場合があるとのこと。
その葛藤を乗り越える…互いを尊重することができるならばそんなカップルでもいいけれど、人生を共にする夫婦だと難しいのかもしれません。
韓流にハマったりするおば様たちや熟年離婚などは、その手の共依存夫婦なのだろうと思います。
私は、まだ、共依存からの克服の入り口に立ったばかりです。
主人とも対等でありたい、と、今は思っています。
私は自分の意識に耳を傾けながら、私たちの関係を良い方向へと修復していきたいです。
  


2009年10月26日 Posted by JJ at 00:14Comments(0)AC

イヤなこと

溜まっていた不満。
出していかないと、私は逃げてしまいそうなんで、荷おろし。

私が主人に対してイヤだと思っていること。

私が具合が悪くても毎晩ビールを飲むこと。
つらい時に初めて「今日はやめてもらえないか」と頼んだら不機嫌になり、それから頼むことが怖くなった。

私が洋服を買うといい顔しないこと。
必ず「そんな買ったの?」という。
2〜3点買ったりすると、間違いなく言われる。
次第に洋服を買うことも苦痛になってきた。
すると、たまには洋服でも買いなよ、という。
私が両親に買ってもらうのはいいらしい。

私が元気になり外出しだすと、途端に文句を言い始める。
私の両親の前で言うこともある。
父が主人に加担したことがあり、私は趣味も持てないのか…と絶望的な気分になった。

子供に対して冷たい。
いや、私に対しても。
というか、愛されたい欲求が息子(3歳児)並みに強くて、彼が子供の世話をしたら私は彼を褒めなくてはいけない。
欲求されるがまま、ありがとう、と言っている私。

大きな問題から逃げる。
逃げるから私が決断する。
しかし、それも気に食わないから、後々大変になると文句。
でもその時決断できない彼。
両親とのやり取りや引っ越し。
私が勝手に決めたことになっている。

一見とても親切で可愛い性格のように見えるから、嘘つきだなと思う。
家での不機嫌な顔見せろよ、と思うときがある。

釣り好き。
私はこれもギャンブルと同じような依存症だと思ってる。
引きがあって、とか聞くと、カジノと用語が一緒だわ、と思う。


たくさんあるな…
私は毒を吐いて自分を取り戻す。
相手は変わらない。
私は変わる。
私は意志を持とう。
彼の優しさが、怖い。
だから、あえて負の面をみる。
今は。
  


2009年10月24日 Posted by JJ at 23:43Comments(0)荷下ろし

変える勇気

変わることのできる私。
変わらない両親や夫。

変える勇気と、変えられない彼らを受け入れる落ち着き。

私は両親を受け入れられました。
夫のことも、いつか受け入れられる日がくるでしょう。
そう信じて、自分の依存症治療にのぞみたいと思います。


神様
私にお与えください
変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものを変える勇気を
そしてその二つを見分ける賢さを
  


2009年10月24日 Posted by JJ at 22:00Comments(0)AC

男性依存 共依存

ようやく自分の現在の病(依存症)にたどり着きました。
私の場合、両親との葛藤を解消するのが先になり、そうすることによって、健康的ではない夫との関係(男性依存)という依存症に気づいたのだと思います。

私は今まで浮気を繰り返すことで相手の愛を確認する、歪んだ愛情表現の持ち主でした。
結婚して子供ができ、物理的に浮気ができなくなると、今度は病気となって相手を振り向かせようとした…もちろん、私は意識していませんでしたが。
赤ん坊のいないいないばぁと同じで、顔をあけても男の人がまだそこにいてくれているのか、強迫的に繰り返していたのです。

一方主人は、自分の存在価値を確認するために病である私が必要である依存症です。
彼の歴代の彼女は皆精神科(心療内科)に通っていたという話を思い出しました。
私が元気になったり意志を持つことを、彼は嫌います。
これもまた、無意識です。

これらは全て本能的な愛の渇望から起こるのだそうです。
赤ん坊の頃の満たされない思い。
満たされないなんてものじゃありません。
一人では何もできないのですから、生きるか死ぬかです。
その時に掴んだ両親への愛情確認が、歪んでいたのだと思います。

私は赤ちゃんの頃、母が急にいなくなったり(弟の誕生、入院)、父があまり頼りにならなかったり(前回の日記に書いた通り)、そんなことが関係していると思います。

主人の場合は義父が今の主人と同じ状態で、家族皆、幸せでいてはいけなかったのです。
きっと主人はそんな義父から義母を助けられなかった絶望から、そのような愛情表現になったのではないかと私は思っています。

さて、ここまでわかり、私はこの先この共依存症という関係をどう解消していこうかと考えているところです。
私は男性から愛情を得るために浮気をしたり病気になる必要は、ないのです。
主人もまた、弱い女性を常に助ける男性でいなくてもいいのです。
ただ、主人の場合、その治療はしていません。
依存症は病気です。
アルコールや薬物と同じく、それがいかに苦痛でも引き寄せられる(主人だって私だって、表面上は苦痛なのです)。

私は意志を持っていいのです。
主人が何を言っても、動じない強さ。
それによりこの関係がどうなるかは、まだわかりません。
お互いが健全な関係になれる日がくるよう、私は自分の治療を進めようと思います。
  


2009年10月23日 Posted by JJ at 19:48Comments(0)AC

回避依存

回避依存とは、束縛されたくなかったり、大事な話ができなかったり、恋人や夫婦という近い関係において、その状態や問題解決を回避しようとする依存症らしいです。
回避依存者には様々なタイプがいて、独裁者のように「自分が絶対で、おまえは間違っている」というタイプや、少年のように理想を追うタイプ、問題が浮上すると逃げようとする脱走者タイプなど、いろいろあるようです。

私の実家の祖父、父、弟は、回避依存者です。
大切な話をしようとしても、逃げてしまいます。
自分の好む話はできるけど、他者からの話は受け付けてもらえません。
常に、自分は間違っていない、というスタンスです。
現実逃避と言いますが、まさにそうで、親子三代にわたって浮気症です。
私もその部分を持っていますから、現実に向き合うのが怖いんだろうな…ということが理解できます。
現実がそれほど怖いものではないと、いつか彼らが気づく日ってくるのでしょうか。

そう考えると、私は付き合う人付き合う人、皆回避依存者で、私は家族を含めても回避依存者との付き合いしか知らないから、普通の「逃げない男性」がよくわかりません。
もちろん、主人もそうです。
実はその問題の大きさに気づいたのは今朝。
私はようやくまともな人に出会えた(=サラリーマン)と思って結婚したのですが、彼もまた被虐待者であり、回避依存者です。

私は自己肯定をしても良いということを実感することができたばかりで、主人との関係に向き合うのはこれからだと思っていたのですが、よく考えてみて、その闇の深さに驚き、怖くなりました。
私はお父さんみたいな人(独善的)とは結婚しなくて良かったと安心していたのに、まさにそうだったから。

主人は人当たりもいいし、きちんと生活費も渡してくれるし、軽い会話なら問題ありません。
でも心の通い合いは私たちにはありません。
私が困っているときは、スーッと逃げてしまいます。
困っているときとは、義母が私にメールを寄越すたびに私の具合が悪くなるから直接話して欲しいと何度も頼んだ時や(親子だし)、私が転換性発作で体が動かなかったりする時です。
でも、私は彼に気を使っていました(これでも)。
サラリーマンを立派にやっている人に、私ごときが文句を言える立場ではないと思っていたし、ことあるごとに「JJはわがままだ」と言われていたからです。
喧嘩なんてしたことありませんでした(深い話してませんから)。
8月に私の右足が動かなくなった時、彼はキレて怒鳴り、家から逃げようとしました。
なんだかこの展開は以前も経験したような…とも思いつつ、私のサラリーマン幻想はかなり強かったので、私が責任感じたりしてました。
あの日、私は子供をいつか酷く虐待してしまうんじゃないかと不安が大きくなり、子供を預けてでも専門病院(都内の病院)で治療に専念したいと泣きました。
子供が可愛いのに、カッとなると酷い言葉を投げつけたり、泣いている子供を置いて布団にまるまって聞こえないようにしていたからです。
それで、彼はキレてしまったのです。
「自分だったら息子のことを完璧にみてあげられる。JJはなんでそんなにわがままなんだ」
主人はそう言いました。
平日5日間、息子に会っていないのに?
土日だって釣りに行ってしまう時があるのに?
まるまる1日みただけでぐったりしてるのに、よく考えたらおかしな話です。

なんだか、これからの課題に立ち向かえるか、不安です。
頑張りつもりですが。
でも正直、今は離れたいというのが本音です。
彼が周りにいい人だと思われているのも、つらい。
心の通い合いが難しいから、立ち止まってしまいます。
明日はカウンセリングなので、頭の中をきちんと整理しようと思います。
  


2009年10月22日 Posted by JJ at 00:01Comments(0)AC

恋愛依存症

恋愛依存の話が出ていて、なるほど、と思いました。
考えていたらグルグルしてしまったのですが、よくよく考えたら私たち夫婦には多少問題はあるものの(どの夫婦にもあることかも)、別段それで酷く悩んでいるわけではなかったとハタと気づきました。
時間がかかっても話し合えるなら、いいんじゃないか、と。
すぐ、過去に引き戻されそうになります。
そういう側面のある病だろうから、ボチボチ進んでいこうと思っています。
そんな時に、恋愛依存症の友人から悩みの電話。
なんてタイムリーな。

自分を振り返ってみても、スリリングな恋愛を繰り返すのはやはり薬などと同じく依存症なのだと思います。
(私は自分がなぜあそこから脱することができたのか、不思議でなりません…いろんな依存と引き換えに体がおかしくなったのかな)
スリリングな恋愛とは、身体的暴力を振るう人や精神的苦痛を与える人との関係、不倫、望まぬ妊娠、重複した恋愛、犯罪者との付き合いなどなど、様々ではないかと思います。
私もなぜかそんな危険な人とばかり付き合ってしまって、我ながらおかしいと、初めて円形脱毛症になった時に我が身を振り返って気づきました。
その時医師に相談したのですが、取り合ってもらえず、そのままになり…6年後別の病院で
「恋愛依存なんて病気はありません」
と言われたのがショックで封印してました。
恋愛依存はPTSDによる強迫行為ではないかと思うのですが、どうなんでしょう。

私はDVかつ浮気症な人と刺激ある恋愛をしてボロボロになりながら、付き合う人をとっかえひっかえするという自らも浮気を繰り返し、挙げ句ヤクザと付き合う始末。
あれは一体何だったんだろう。
どの男性も家庭に何かしら問題があり、いつも別れるだ死ぬだとすったもんだしてました。

恋愛依存からの回復は、アルコールなどの回復に使われる回復の12ステップに加えて、恋愛禁止、なんだそうです。
私は息子と病気に助けられた部分が大きいのだろうと思いました。
恋愛できませんから。
しかし依存とは、たとえ子供がいても、その魅力には抗えないものなのだろうと思います。
私はたまたま髪が抜けたのと、父から「世間がおまえのことを淫売だと思うだろう」と言われたのが良かったのかも…
その時は傷つきましたし、そのお陰で体にいろいろ出ましたが、私はハチャメチャやりながらも狭い地域での世間に弱いので。

恋愛依存は心と体が傷つきます。
満たされていない人間にとってはとても魅力的なのですが、もしそんな恋愛を繰り返す自分に気づいたら、依存症専門医にかかると良いようです。
  


2009年10月20日 Posted by JJ at 23:25Comments(0)AC

breakthrough

ACからの突破口がようやく見えました。
落ちて、落ちて、落ちて。
分析して、分析して、分析して。
長かった。

たどり着いたところは、両親への純粋な愛でした。
まだ毒を吐ききっていない場合、両親への愛(または…怒りのこだわりが無くなる状態)なんて有り得ない、と思うものです。
私はずーーーっと、怒りに支配されていましたから、こんな日が来るなんて夢にも思っていませんでした。

ACからの回復の醍醐味は、愛を知る喜びが大きいことです。
小さなことに感動して、泣けちゃうところです。

今までは怒りや悲しみで、泣いていました。
いっぱい。
だから、泣きたいときは泣けばいいのだと思います。
自分の気持ちに耳を傾けて、たくさんたくさん抱きしめてあげて、同じ仲間に出会ったら、お互いを抱きしめて、そしたらにっこり笑ってる。
そんな感じです。
笑えるようになるまでは、人それぞれ。
私は自己分析と仲間と厳しい友人のお陰で、案外早かったのかもしれません。
…34年、でした。
まるまる、今までの人生。

とはいえ、まだまだ、問題はあります。
でも、感じ方が違うのは、大きい。
少しずつ、進んでいきたいです。
  


2009年10月19日 Posted by JJ at 23:27Comments(0)AC

愛のお裾分け

昨日は実家へ行ってきました。
実家は私にとって、まだまだキツい場所です。
案の定、日曜日の午前中は撃沈…
私は弟夫婦とぶつかって転換性障害という病が悪化したのですが、それは父から認められたいという弟と私の愛の勝ち取りゲームであったと、今思っています。
私は退職願いを出した時に父から引き留められ、あっさり転職をやめてしまいました。
弟夫婦から猛攻撃を受けてボロボロだったのに。
いや、弟もボロボロだったのかもしれませんが…
その後、妊娠していた時にまた弟とぶつかって、後を継ぐのは長男だからと、私はあっさり解雇になりました。
不条理。
そればかり考えていました。
そればかり考えていた4年。
長かった。
一つの問題に振り回され、4年なんて。
でも、それが無ければ私は私の問題に気づかなかったのですから、良かったのですが。

今、弟のもとで働いている従業員の女の子が、全く私と同じ状況で、勝ち取りゲームに巻き込まれています。
彼女もまた、心療内科にお世話になっているようで。
憎しみのパワーは強いと、改めて思いました。
実はもう一人心療内科にかかり、既に会社を辞めてしまった人もいます。
わずか16名の会社で、心療内科の患者が3人。

私はその会社が実家だから、心が揺れます。
従業員さんと弟の問題は、私をまた過去へ連れ戻しました。
しかし、自分の気持ちに耳を傾けたら、弟の、父から愛を得たい(認められたい)という強い気持ちを理解できた今、何もできない私が歯がゆくてつらいのだと思いました。

私は先ほど、父に電話しました。
父はまた私に意地悪なことを言っていたけれど、父は真剣に話す事が怖いのかなぁと私は思いました。
私は真剣に話したいから聞いて欲しいのだけど、と、素直に自分の思ったことを話しました。

私の病気のこと
父からの愛を求める弟の気持ち
私が両親を恨んだ末に、今とても愛しているということ

父は、そんなことより息子をちゃんと愛せ、と言いました。
私は、息子と同じくらい、父や母や弟に愛情を注いでいる、今はそうだ、と伝えました。
だから、私が愛をお父さんにも分けてあげるから、その愛を弟にも気が向いたら分けてあげてよ、と話しました。
こんなのアリなのかどうかわからないけど、それでも私は自分の気持ちを父に投げました。
怒りじゃなくて、愛してるという気持ちを。
今したかったのは、こういう事かな…
  


2009年10月18日 Posted by JJ at 20:45Comments(0)AC

素敵な金曜日

私にとってACの仲間というのは不思議なもので、友人というイメージではなくて、本当に仲間というイメージです。
疑似家族というか。
そんなあたたかい関係から、素敵な日記に出会えたので、私もここで簡単に紹介させていただきます。

「休日は、休日そのものよりも、その前の金曜日の夜が一番幸せである」
これをACに当てはめると、
「完全に回復した時よりも、お互いを支え合い、あたたかい体験を繰り返し重ねている時が幸せであり、休日はそれを経て、生が尽きる時ではないか」
という感じの日記でした。

私は本当に、今それを感じています。
あたたかいやり取りは何にも代え難く、仲間が回復を目指して支え合うという『素敵な金曜日』。
回復したなぁと思うのは、きっと真剣に生きた時を終える瞬間なのかな…と思いました。
それならば、もっともっと貪欲に、光ある方へ進んでいきたい。
そう思ったら、死への恐怖が軽減しました。
死へ向かって茫然と生きるのではなく、生きていていいのだと共に感じることは、魂の成長に繋がる気がして。

魂の年齢は、実際の年齢や皺の数ではないと、自分を姿を眺めて改めてそう思いました。
私は今、7歳ぐらいの年齢の自分を抱えていて、だから、もっともっと生きたいと思う。
人が生きれば生きるほど長生きしたくなるとするならば、年齢と共に見えなかったことが見え始め、魂が成長を始めるからなのではないでしょうか。
やり残していること、新しく出会った人との関係、学び、いろいろと。
だから、もっともっと生きたくなる。
人は誰でも完全な自己は抱いていないと思うので、そんな欲求が出てくるんじゃないかなぁと思いました。
わくわくするような休日の前夜なんて、そうそう手放したく無いですもんね。
  


2009年10月17日 Posted by JJ at 01:30Comments(0)AC

回復に必要なもの

ようやく自分で気づきました。
回復に必要なもの。
それは、
的確な診断をしてくださるお医者さん
頭の中を整理するお手伝いをしてくださるカウンセラー
そして、同じ苦しみを抱えている(抱えていた)仲間

仲間の存在は大きい。
そう知ったのは、本当に最近です。
私は本格的に治療に向き合うことができ始めたと今実感していて、それまでは「健康な人」から受けた傷が大きすぎて、身動きが取れなかったのです。
その傷も、私の理解されたいという強い欲求から招いていた傷ーー結局は自傷ーーなのだと、ようやくようやく気づきました。
それまではなぜ病気になるのかと、その症状や原因に興味があり、私は内へ内へと入り込んでいました。
でも、それも重要な期間だったんだと思います。
明らかに健康な人とは感じ方が違う私。
それが明確になったのですから。

私の中に、あたたかいお母さんのイメージが生まれました。
強くて、抱きしめる力を持っていて、正しい道を示してくれて、つらい時には背中をさすってくれる、そんなお母さん。
ずっとずっと求めていた、お母さん。
私はまだ甘えたくて、つらいときには背中をさすってと求めることが多いけど、それが受け入れられる幸せ。
私もその幸せを、いつか皆さんに分けていきたい。
私もそんなお母さんになりたい。
苦しんでいる人にも、そうでない人にも。

そんな風に思いました。
  


2009年10月16日 Posted by JJ at 14:00Comments(2)AC

摂食と排泄

生きていくのには基本となる、摂食と排泄。
私はこれに対して、健康な人よりも少しだけだけ執着があります。

過食について悩んでいる方の話を考えていたら、自分もその傾向(吐けない過食と拒食の繰り返し)があり、それはなぜなんだろうと考え始めました。
現在は拒食傾向にあり、食べなきゃという義務感で口に食べ物を入れているような感じです。
食べないと倒れちゃうなぁって思うから。
子供を抱っこするって、なかなかエネルギーが要るんです(^_^;)
ダイエットをしたいとか、そういった強迫観念からの拒食ではありません。
ただ、食べ物に今は興味が持てないし…あったとしても口に入れた瞬間、いらなくなる感じです。
何を食べたいのかわからなくて、そのために最近作る気力も無く、どうしたもんかと考えていました。
過食の時期はその反対。
何もかもが美味しくて、どんどん食べたい。
動けなくなるくらい食べてしまったことに、気づかなかったりして…
私の場合は強迫観念からではなく、衝動からその行為が起こっているのかな。

あと、排泄。
普通に人間は摂食をし、排泄を繰り返すのですが、私は排泄という自然な欲求(って言うのかな)が、怖いです。
摂食と排泄の関係って、何か無いのかな。
今度お医者さんに聞いてみようと思います。

どちらの欲求も自分でコントロールするものでは無いと思うので、コントロールに対する執着なのかもしれません。
だから…突き詰めれば強迫行為なのかな。

さて、そろそろ机に向かわねば。
やりたいと思うのも私、やめたいと思うのも私。
『私は限りなく私の中で自由だ』と、呪文をかけて参りたいと思います。
  


2009年10月15日 Posted by JJ at 13:31Comments(0)AC

愛を感じる

ちょっと前、山を越えたのだと思っていたのですが、保育園の件に比べたらそんなの屁のようなもの(スミマセン)でした。
私にとってはかなりハードルの高い問題で、こちらの希望を話して理解してもらうことがこんなにも難しいことなのかと、絶望的な気分になっていました。
私は行政のシステムにも不満を抱いたし、理解されない状況にも怒りがありました。
確かに…私にはそれを乗り越えられるパワーがあったから何とかなったけれど…私より更に消極的な人は大勢います。
だから、行政のシステムはより生きやすい世の中へと向かうために、今後改善されていく必要はあると感じています。

私は人を信頼することが本当にできていないのだと、今回実感しました。
それは、両親や祖父母とのやり取りから育まれた負の感情であり、今もそう思っています。
よくAC本などでは回復のために両親を受け入れるだとか書かれていますが、怒りに震えている人間にとって、そんなのはきれい事にしか見えません。
私はそうでした。
では、受け入れるってなんだろう?と考えた時、私は両親の生まれ育った背景を推測しました。
どちらの家も何か歪んでいて、それが戦後の混沌とした時代を引きずったままの形ならばどの家にもあることなのでしょうが、それでも、個々の家庭において両親が傷ついていた事実を、私はようやく理解することができたのです。
両親と少し距離を置いて、彼らを客観的に見ることができ始めてから、そのような気持ち−−両親への私からの愛情欲求と理解欲求−−が芽生えました。
それは、今回の件と重なります。
相手を理解して初めて尊重が生まれるという。
長い長い年月がかかりました。
まだまだ怒りは感じています。
それでも、その間に見捨てないで私と友達でいてくれた人や、同じ体験をして苦しんでいる人や、様々な人が私を待っていてくれて、そのあたたかい体験の繰り返しから、ようやく少し前進できたと感じます。

新しいことに気づいて、そしてまた、そこがスタート地点だと感じる。
その繰り返しですが、頑張りたいと思います。
本当に、私と関わってくれた人の愛を感じました。
だから、私からも皆さんへ。
今日という日が素敵な1日でありますように。
たとえあなたが悲しみにくれていても、また、光を見つけられますように。
  


2009年10月14日 Posted by JJ at 11:23Comments(0)AC

感謝

ありがとうって言葉は素敵だなと思いました。
私はたくさんの人に支えられていて、時には私も誰かを支えていて、そこから自然に生まれるありがとうの気持ち。

今まで、私は人に何かをしてもらうということが本当に苦手で、何かを頼んだりすると酷い罪悪感にとらわれていました。
助けるのはいいけれど、助けられるのは苦手。
でも、結局自分が大変になってしまって、誰かに依存してしまう。
依存された相手も大変になって、関係が崩れていく感じです。

誰かに助けてもらいたい時、そんな時本当は「ごめんね」というよりも、「ありがとう」の気持ちなのかもしれません。
「ごめんね」が癖になっていて、「ありがとう」が出てきていなかったなぁと、気づきました。

実際、私もありがとうって言われたら、嬉しくなります。
今日私がありがとうと伝えた人たちも、そんな気分になっていたらいいな。
  


2009年10月12日 Posted by JJ at 23:51Comments(0)AC

私の夢

薬の副作用がきついです。
こんなもんなのかな…
病院に行った時、お医者さんに聞いてみようと思います。
でも、ようやく理解を示してくれるお医者さんに巡り会え、気持ちは少し落ち着きました。

今回の件をよく考えて、愚痴ではなく問題として、心の病への理解があまりされていない世の中だなと私は感じました。
それがどんな原因で起きたものなのか、どんな症状なのか、どんな問題をはらんでいるのか、どういった危険があるのか、福祉に携わる人たちにも理解されていない気がしました。

私は、いまだ衝動的な部分があるとは言え、たくさんたくさん本を読んで、なぜそうなるのか、自分で自分の行動を理解しようと努力してきました。
そのお陰で同じように悩む人たちに巡り会え、健康な人からしてみたら「ぬるい」と感じるような(多分)あたたかい言葉をもらい、今があります。
「頑張ったね」
「素晴らしいよ」
「自分を守る術を知ってるんだね」
と、数々の言葉が、私の支えになっています。
私はそういった支えや、かろうじて社会に片手でぶら下がっていられる程度の状態だったから、今回の保育園の件でも被害者面してたら自分(と言うより子供)を守れないと気づき、行動に移せたんだと思います。
でも、世の中自分一人の力では立ち上がれない人がたくさんいます。
畠山鈴香の児童殺害事件の問題は、それをよく表していると思います。
彼女のことを、最悪な鬼母だと思いますか?
もしそう思うなら、なぜ彼女が鬼母であり殺人者となったのか、理解できますか?
私は、彼女を叩く人たちのことも、彼女の取った行動も、両方理解できます。
彩香ちゃんが欲しいと言ったポケモンのお菓子(おもちゃ?)を買ってあげたりサクラマスを見たいと言った彩香ちゃんのために川へ向かった畠山鈴香も、橋から彩香ちゃんを突き落としたり、幸せそうなお隣の男の子を殺害した畠山鈴香のことも、理解できる。
でも、私はしない。
それは、私が自分で何が最良かと判断できる力が運良くあったからであり、そのために他人(信頼の置ける医師やカウンセラー)の力を借りる必要があると知っていたからです。
でも、家族だけでなく、学校の先生や友達からも自分というものをすくいとってもらえなかった人は、どうしたら暗闇から抜け出せるのか、光なんて本当にあるのかどうかすら、わからないんじゃないでしょうか。
世間はそういう人に、冷たい。
心が弱いと、一言で済ませようとします。
なぜ心が弱いのか突っ込んで考える人が少ないから、このような不幸なできごとが起こるんだと思います。

いつか、私は心の通い合う世の中になればいいな、と思っています。
それは個人の権利や利益だけを考えた世の中ではなく、どのような個人でも互いに尊重できる世の中であるということです。
それが結果的には個人が社会に貢献できることであり、繁栄なのだと思っています。
今の世の中を敵対視しているのではなく、私は長いスパンで考えて、世の中と対話をしていきたい、それが私の夢です。

なんだかんだと週末になり、勉強が一旦停止中(>_<)
薬を飲むと頭痛や眠気が襲ってくるので、これから頑張れるかしら。
夢に向かって頑張りたいです。
  


2009年10月12日 Posted by JJ at 13:48Comments(0)AC

病気への理解

今回の保育園の一件で、社会にまじわるための努力、というものを知りました。
私はいつも被害者のような顔をしていて、他者への依存が強く、でも実際困っていたので、それをどう変えていけばいいのかわかっていませんでした。
このブログを読んでくれているACの方で、周りに理解されずに悩んでいる方がもしいたら、私は今回の件は良い例になると思うので、体験として書きますね。

まず、ACは外見上健康な人との区別がつかないので、内面的な問題が非常にわかりづらい状態です。
それに加えて、消極的だったり攻撃的だったりして、相手に正当な自己主張ができないため、誤解されやすいです。
それを理解した上で、必要であれば細部まできちんと病状を証明したり説明する必要があります。
そのためには、的確な診断と処方箋を出してくださるお医者さんを見つけることが必要となります。
良いお医者さんは、症状や悩みをしっかり細部まで聞いてくれます。
そして、ACという言葉を使わなくとも生育歴に関してきちんと尋ねてきますし、例えば私のように「幼い頃一時期母と離れていたことがあり、その後両親に私の気持ちを伝えても理解してもらえなかった」と話した時、あなたの思いこみなんじゃないの〜?なんてことは言いません。
それも私の歴史の一部として、カルテに書かれます。
私は付き合っていた彼に振られた時、衝動的に体を切ったことがあります。
死のうと思ったわけじゃなく…なんだか傷つけたかったからです。
両親とぶつかった時も、理解されない苛立ちから、タバコの火を手の甲に長いこと押し付けました。
根性焼きじゃないですよ。
これも、痛み(生きているということ)を自覚したかったのです。
痛かったけれど、それが心地よかった。
生きていると実感しました。
的確な診断を下すお医者さんは、そういう衝動的行為を理解し、その衝動が今現在も水面下で継続していると、理解してくださいます。
そして、「診察を重ねるごとに病名は増える(変わる)かもしれないし、薬も調整するかもしれないが、今現在はこれです」と、的確だと自分でも感じる症状と病名を話してくださるはずです。
薬も、患者が診断に納得がいかないのに出された場合、症状に合っていないものである可能性も高いです。
私は以前パキシルという抗うつ剤を処方されましたが、今回お医者さんに
「あなたのような衝動的な患者さんにはパキシルは出せない。衝動が加速する恐れがあるから」
と言われました。
結局怖くて飲めなかったのですが(話も聞かずに処方されたので)、もし飲んでいたらどうなっていたんだろう?と思いました。
以前も書きましたが、お医者さん選びは難しいです。

私は保育園に自分の病状を説明する必要があるのですが、何しろ被暗示的かつ口下手なので、口頭ではなく、診断書と共に手紙を書くことにしました。
診断書と曖昧な病状説明では、社会福祉に携わる方々でも理解し難いのだそうです。
理解されるためには、細部=できれば話したくないと思っていた虐待の可能性も書かなければなりません。
でもこれは医師の
「子供を愛することと、衝動的に行動にうつしてしまうこととは、全く別の問題。そういう意味では危険」
という言葉が、後押ししてくれそうです。

それでも、周囲に理解されるとは限りません。
ただ、できる限りのことを自分でもやる必要がある、ということです。

今回はそんなことに気づきました。
  


2009年10月11日 Posted by JJ at 15:50Comments(0)AC

お医者さん

過去お医者さんで痛い目にあっていた私は、病院にきちんとかかることを躊躇していました。
が、何とか保母さんにわかってもらいたくて(診断書とアドバイスが必要で)、ネットの口コミで良さそうな個人病院を探して行ってきました。
診断は、今のところ、転換性障害(身体表現性障害)。
昨年のパニックはパニック障害ではなく転換性発作であり、足の痺れやその他の痛みも転換性のものだろうということでした。
そして、衝動的なので、子供にとって私は「危険な存在」で、保育は長い時間みてもらえるならその方がいい、と言われました。
治療中第二子を持たないことも懸命な選択です、と先生が仰った時、私はなんだかホッとしました。
おかしいけれど、私は誰かに「危険だ」とはっきり言われたかったようです。

処方はデパケンとデパス。
今回はきちんと服用しようと思います。
(パキシルなどは衝動的な人には処方できないと言われました)

…あと。
自閉症スペクトラムについて。
その可能性を指摘されました。
やはりそういう気質なのかな。
確かに言語性IQと動作性IQの差は18と、まぁまぁ開いてるんですが、それだけではわからないようなので、様子見です。
  


2009年10月10日 Posted by JJ at 02:09Comments(0)医療機関