父と母と

結局癒やしのワークブックをステップ4の途中までやってしまったのですが、それを進めるにつれてますます両親が大好きなのだと気づく妙な状態に陥っています。
昨日は母が、今日は父が来て、これからしばらくの間会わないのでお別れの会をしました(おかしな家族)。
父は親友が肺ガンになってしまったことで落ち込んでおり、自身も禁煙外来に年明けから行くのだと苦い顔をしながら言っていました。
勇気を出して、頑張って!と、肩をたたく私。
…父や母をみていると、つい元気づけたくなります。
これは彼らが年老いてきたからではなく、昔からの癖。
でも実は私もそんな言葉を両親に期待しているのではないかと思いました。
なんだか落ち着かず、今も眠れなくなってしまったし。
これから環境が一変するのだから、仕方ないか…

今日は午後一人になれる時間を作ってもらったので、YouTubeで好きな歌ばかり聴いてました。
Aerosmithのjadedは何回もリピートしてしまった。
私の訳力がイマイチなので、あれってウザいながらも離れられないという強烈なラブソングかな、と思って聴いてるのですが、どうなんでしょうか。
  


2009年12月20日 Posted by JJ at 01:45Comments(0)AC

なぜか…

なぜ私は頭と心に開きがあるのか、考えました。

頭ではこうすればいいだろうな、という案がある。
なのに、実行できない。

過去受けた発達障害の検査の一つ、IQテストを思い出し、その言語性(知識とか)と動作性(行動とか)の差が18あったことを思い出しました。
何かで15以上開きがあると発達障害を疑うと読んだことがあります。
しかし、私自身はACだろうと思ってます。
躾がきちんとされていなわりに、知識だけある…頭でっかちというわけです。

この日記も読んだ方はそのアンバランスさを感じられるかもしれません。

早く入院したいです。
  


2009年12月16日 Posted by JJ at 20:58Comments(0)AC

仕事

私は仕事が好きだけど、働けない。
今まで働けて最長で2年半(それも実家)。
その間にやっぱり円形脱毛症になってしまったから、やはり協同作業が苦手なんだと思う。
20代前半はカジノ→水商売→カジノ→外務省→カジノと狂ったように場所だけでなく職種までよく変えていた。
一番長く続けて働けたのが水商売の一年。
途中不眠症になりやめたのだけど。
実は働くといつもそうで、私は体内時計が狂ってるんじゃないかしらとも思った。
そういや外務省は遅刻を繰り返してクビになったんだった。
私も一生懸命寝ようと思うのに眠れなくて…かと思うと、朝方深い眠りについてしまって遅刻。
目覚ましの音も聞こえずに。
自分がよくわからないまま働いているからこうなるのかな。

職歴を考えていたら、初夏のある日、外務省の喫茶店でかかっていたエリッククラプトンのchange the worldを思い出した。
何だか人生はとても刺激的で、楽しくて仕方なかったあの頃。
青々とした木々の間からこぼれる初夏の陽射しが眩しくて、ああ東京の真ん中にいるんだと思ったあの頃。
何もかも自由だと勘違いしてたな。
23歳のあたし。
いや、本当に私を姫にしてくれる王様がいると思っていたんだよ。
おめでたい。
  


2009年12月16日 Posted by JJ at 00:44Comments(0)AC

メソメソ

治療的にはアリなんだろうけれど、メソメソした私が現れ始めてる。
他人の顔色をうかがい、気が弱くて、悲しい気持ちでいっぱいな感じ。
でも実際泣いたりしているわけではなくて、ぼんやり他人と自分の間に膜が張られているような不安感。

自分を知る作業って大変だなぁと思う。
きっと知らず知らず他人にも自分にも攻撃的になるのだと思う。
というのは、抑圧された怒りの蓋を外していくわけだから。

怒りをぶつけるのは、強い人に。
でも人は知らない内に弱い人を傷つけていたりする。
無意識のうちに他人を傷つけませんように。
  


2009年12月15日 Posted by JJ at 17:06Comments(0)AC

3歳の思い出

土曜日、富士急ハイランドに行ってきました。
3歳になった息子が
「さんさいになったら とーますらんどの だんかんに のれるよね!」
とすご〜く楽しみにしていたから。
ダンカンとは機関車の名前で、トーマスランド内にあるお子様ジェットコースターのことです。
これから私と長期間離れることになるので楽しい思い出を作ってあげようと思い、行ってきました。
少しずつ私の入院については息子に話していますが、やはり彼にとっては大きなストレス。
昨夜はついに発熱してしまい、寝言で
「おかあさん いかないで…」
と言っていたのが切なかった。
長い目で見たら、私と息子の関係改善にも結果的には大きく影響する治療。
私は入院中もできるだけ息子と連絡を取るようにしようと思いました。

私も幼い頃母と離れた期間があります。
私は何も聞かされないまま一人になり、忙しいからと伯母の家やよそのお宅へ預けられることもありました。
その不安だけは、息子に感じさせたくありません。
子供も意志を持つ小さな人だと思うから。
お母さんと会えなくなるのは寂しいだろうけど必ずお母さんは帰ってくるし、いつでも息子は大切な存在だと、ちゃんと話しておきたいと思います。
  


2009年12月14日 Posted by JJ at 13:48Comments(0)AC

入院

昨夜は落ち着いて眠れませんでした。
昨日の昼間東京の病院から連絡があり、来週か再来週から入院可能になりそうだということだったので、多分ドキドキしてしまったのだと思います。

ここ数日悩んだけれど、やはり私は根本治療を望んでいるのだからやってみようと決意して、私はある方から紹介していただいた先生の元へ行くことにしました。
依存症治療(というかPTSD治療)と薬のエキスパートであるその先生にはやはり患者さんも多くいて、新患はとっていないと何度も電話で受付に断られたのですが、4回目の電話で先生に本当に診てもらえないか聞いて欲しいと…怒ったら、先生がなぜ自分にかかりたいのか症状と理由を手紙に書いて送って下さいとお返事して下さいました。
私は必死で手紙を書き、何としてでも回復したい旨を伝えました。
症状と理由以外、育ってきた家庭がどのような家庭であったかは一切書きませんでした。
その後先生から直接お返事をいただき、治療して下さることになりました。
私はこれは自分一人では成し得なかったことだと思います。
先生を紹介して下さった方、治療をバックアップしてくれる家族や姉夫婦、不安定な私を支えてくれる方々、回復に向かっていなくて等身大の自分を見つめていないことに気づかせてくれたみっちゃんさん…治療の方法は人それぞれだと思いますが、私はいつか薬やアルコールに頼らず生活できるようになるために、怒りと仲良くなるために、家族のために、治療しようと思います。
大変なのはこれからですが、皆さんの有り難い支えを忘れずに、頑張ろうと思います。

昨夜西尾和美の『癒やしのワークブック』のステップ3「家族がどうであったか」を全部書き終えました。
私は何があっても実家の家族が大好きです。
病的だと思います。
朝方悪夢をみました。
過去散々私を振り回した男性が夢にでてきたのです。
なのに私はホッとして、その人とまた会えたことが嬉しくて仕方ない。
私と両親の関係は、それとよく似ています。
その作業に心を伴わせたらどうなるのかまだわかりません。

子供と長く離れることになるのでつらいですが、ACからの回復を目指していこうと思います。
  


2009年12月11日 Posted by JJ at 07:44Comments(0)AC

ACらしい

昨日ある自助グループを運営されているACさんからメッセージをいただきました。
昨日の朝は息子の件で大失敗をしてしまって気分の落ち込みが激しかったために、何が何だかわからないままそのメッセージを読んで頭が混乱気味でした。
その方はこのブログを読んで私のことを辛そうだなぁと感じてメッセージを送って下さったようですが…
途中から「良いカウンセラーや家族があなたの人生に寄り添って下さっていることに感謝して頂きたいと思います」と書かれており、何だかよくわからなくなりました。
私(JJ)のように恵まれた環境にいるACばかりではないとその方は仰っていました。
私は治療者ではないので、正直なところ、私以外のACの方の環境までを考慮してこのブログを書いてはいません。
それに他人に感謝して頂きたいって…感謝していますとも。
でも、身近な他人に対してそれに反した行動を取ってしまう時がある。
だから、その治療にかかることにしたのです。
その方は「ACは病気ではないです。解離の治療ですよね」とも書かれておりました。
私がこれから受ける治療はPTSDとそれによる解離や依存症の治療です。
ACは機能不全家族などで育ち、情緒がきちんと発達していない人のことを表す概念だと私は思っていましたし、このブログもそれを前提で書いてきたので驚きました。
ACを病名にしたらPTSDを患っている人であると確か斉藤学医師の本にも書かれていたような。

私はこれから都内の病院へ転院することになりましたが、近くに適切な病院が無いならば、それをどうするか考えるのも自立の一歩だと思います。
それに対して嘆いていても前には進めません。
私は自分が知り合い、支え合える方々を大事に思っています。
新しい病院に出会えるまでに大変な道のりがあったからこそ、私は私を支えて下さっている方々に感謝の気持ちを抱いています。

昨日は余力があまりなかったので
「できればmixiの方でマイミクになり、コメントでお願いします」
とその方に送ったのですが、
「ご意見したいわけではありませんので。人の人生ですし」
というお返事でした。
それならばなぜ私のことを辛そうだからとメッセージを送って下さったのかとも疑問に思いましたので、私の気持ちをブログにて返させていただきました。

ご意見はまずコメント等でお願いいたします。
  


2009年12月10日 Posted by JJ at 15:41Comments(0)AC

脱却

実家にはAC猫がいます。
いまだに人に懐かず、すぐ噛んだり爪を立てたりします。
名前はとらり君。
6歳。
川に捨てられていたとらちゃん(生後2〜3週間くらい)を父が拾ってきたのです。
とらちゃんは人間に捨てられたのがよっぽどショックだったらしい。
心を閉ざした猫ちゃんです。
でも父や母には比較的なついているから、やっぱり信用できる人できない人を選別しているんでしょうね。

私は自分がとらちゃんに似ているなと思います。
猫だったらそんな感じだったかも。
普通にしようとすればする程不自然になり…
そこから希望を掴もうとするとまた「偽物では?」と突っ込みが入ります。
それは誰のせいでもなく…つまりは負の連鎖の表れだと思うのですが、そこからの脱却がとても難しいです。

最近落ち込みが激しいのは、変化が怖いからだと思います。
  


2009年12月07日 Posted by JJ at 21:11Comments(0)AC

アルコール

ACは人にも依存しますが物質にも依存します。
私はタバコ。
止めたいのに止められません。

酒井法子が覚せい剤を常用していたのもその多幸感を得られる快感からだろうな…と思います。
薬物依存がどうこうよりも、なぜ依存症になったかをマスコミは取り上げてくれたら良いのにとも思います。

私は今アルコールが飲みたくて仕方ないです。
頭が痛くて、そこから逃げ出したいです。
焼酎かウィスキーかブランデーか。
あの多幸感。
至福の時間。
どうかしてるなぁ。
ちなみに日本酒だと酔いを楽しむ前に潰れるので飲めません。
私はお酒が弱いのに飲みたいと思う。
精神もすこぶる弱いと思います。
  


2009年12月07日 Posted by JJ at 12:17Comments(0)AC

笑う癖

私は悲しい時に笑う癖があります。
カウンセラーと話していても、DV男と付き合っているときの苦痛…殴られたり蹴られたり中絶を繰り返したり捨てられたり…そんな話をしてるのに、
「真剣に交際できていて、良いカップルだと思ってました。あはは!」
と笑っている自分がいました。
カウンセラーも笑っていたので、多分つられたんでしょう。
人は恐怖を感じると笑う癖があるように思います。
それを直視する苦痛から遠ざけようとして。
私のいとこたちは凄く面白い人たちなんですが、もしかしたらそれが基になって笑っているんでは?と、ふと思いました。
真剣に、真っ正面から自分を見つめたら立っていられなくなるから。
笑わないと乗り越えられないから。
本当は泣いて泣いて、クッションでも何でもいいから殴って殴って、子供時代に得られなかった愛情に対して怒りや悲しみを出していいのだと思う…安全な場所で。
私は感情の出し方がわからなかった。
そういった時にまだおかしくって笑いがこみ上げてくるから、全然シリアスさが無いのです。
多分私の友人は私がそんな闇を抱えているなんて思っていないだろうし…カウンセラーさえ私は欺くことができるのです。
凄い。

私が主人と大喧嘩した時、息子は笑いながら泣いていました。
多分それも同じだと思います。
  


2009年12月05日 Posted by JJ at 11:34Comments(0)AC

トラウマの大きさ

西尾和美の癒やしのワークを始めて、気づいたことがあります。
それは私の抱えるトラウマの大きさです。
予想以上でした。
多分、私は入院治療が必要ではないか?と感じています。
というのは解離といって、人格のスイッチが切り替わる瞬間があるからです。
怒りの記憶が時々抜け落ちているのです。
何かあってからでは困るため、都内の病院をあたることにしました。
私は息子が生まれてきてからそれを抑圧してきたので、多分転換性障害になったのだと思います。
傷ついた記憶を今まで書き連ねてきましたが、ようやく危険度を察知しました。
頑張ります。
  


2009年12月04日 Posted by JJ at 02:01Comments(0)AC

ACの自己主張

昨夜の日記は「ACの自己主張」です。
そのままの私で良いなんて嘘じゃん!というみっちゃんさんに駄々をこねる図。
あ、みっちゃんさんはそのままの私で良いとは仰っていません。
思考の癖がACだと仰っただけです。
私が他人に理解されないと怒りを抱く事自体私であり、怒りを抑圧せずに受け入れることが私にはまず必要なことだった、のかな…
みっちゃんさん、ありがとう。
こう言うのは大人の私です。
この悪態がどんだけバカげた事なのかよくわかっています。
でも心に潜む怒りのインナーチャイルドは私の全てを受け入れてくれないみっちゃんさんを酷い!傷ついた!と言っています。
なぜ酷いと私は思うのか。
なぜ傷つくと私は思うのか。
癒やしのワークを取りかかるにあたり、よく考えて、感じていきたいと思います。
  


2009年12月01日 Posted by JJ at 10:31Comments(3)AC

痛い人

カタカナで『イタい』人かも…

他にも悲劇のヒロイン病とか自己憐憫病などといろいろ自分でも自分の症状に名前を付けては、気持ちが安定してきた時に酷く恥ずかしくなります。
プライドが高く自尊心が低い…言葉をお借りしましたが、なるほどその通り。
地に足が着いていない感じで、その場その場を生きている。

みっちゃんさんからコメントをいただき、かなり落ち込んでます。
いや…みっちゃんさんに私の何がわかるんだろう?と思ってます。
意地悪!とも思います。
これが素の私。
いい人でない私。
コノヤロー!って思うのが、私の怒りのインナーチャイルド。
でもまだまだ出ません。
まだまだいい人仮面をつけてます。
さすがに胸が苦しくなって久しぶりに発作が来るかと思いましたが来なかったので、やはりそのあたり私のインナーチャイルドには力があるんでしょう。
潜む力。

はぁ。
苦しい。
  


2009年12月01日 Posted by JJ at 00:13Comments(3)AC

見捨てられ不安

見捨てられ不安は私の女性性に対する嫌悪感と繋がっています。
女であると捨てられるという思い込み。
その悲しさが怒りになって、それが腐敗して恨みとなるのはよくわかります。
よくわかるとは頭で考えて理解できるということで、つらいな〜と実感しているわけではありません。
第三者的にそれはつらいだろうな…と思っている感じです。
『頭は思考の座、心は動機の座』と教えて下さった方がいました。
コメントを下さったみっちゃんさんが仰っている『心(腑)に落とす』は思考と動機の一致のことではないかなぁと思います。

私はヒプノセラピー(退行催眠)を受けてから、パニック発作を頻発するようになりました。
私自身はそうでもしなければ今でも鬱々と暮らしていただろうから受けて良かったと思うのですが、実はヒプノセラピーは受けられる人と受けられない人がるようです。
それ自体はトラウマの小さな人にとっては良い作用を及ぼすものです。
私は事前にセラピストから精神科受診などをしている場合はヒプノセラピーを受けられないと聞いていたのに、その時の自分の状態をしっかり把握できていませんでした。
私のせっかちな部分なのですが、早くモヤモヤから解放されたくて仕方なかったのです。
だから、パニック発作を起こすようになったのだと思います。
退行催眠を受けた時、私は強烈な見捨てられ不安を感じたようです。
見捨てられ不安というより、見捨てられた恐怖そのものかも。
バカで愚図な弟が男として生まれただけで優遇される世の中に、赤ちゃんの頃から恨みを抱いていたのだと思います。
バカで愚図な弟という評価も裏を返せば自分に対する評価で、だから私は捨てられたと。

退行催眠の間中、私は私の姿を発見できませんでした。
私は泣いてるインナーチャイルドじゃなく、恨みのお化けを抱えているんじゃないかと思い…我ながら嫌な感じだと思います。

そのように、私は以前人の手を借り、腑に落とそうとして体が拒否したという経験があります。
恨みお化けの跳ねつける力は強力だなと思います。
一つ一つ癒やしの作業を進めて、分析して…って認知療法である程度やっても本当の気持ちを恨みお化けは隠してしまうから、何かしらアクションを仕掛けないと心が受け入れる準備が整うまで時間がかかりそうだと思いました。
方法によっては危険なので、慎重に選びたいと思います。
  


2009年11月30日 Posted by JJ at 11:18Comments(1)AC

いい人 2

いい人になぜなるのかと考えていたら、嫌な気分が浮かんできました。
当然そうなんでしょうが…

消えてしまえばいいのに。

この一言の間で、私は罪悪感を強く感じています。
母に対して思っている(きっと今も)ことです。

こんな気持ち、心で感じられるだろうか。
ああいやだ。

夜用事があって母と話しました。
私が用事を話す前に祖父の愚痴というかそんな話を勢いよく話す母。
母は不満で一杯なのだと思う。
私はそのゴミ溜みたいなもので。
母も祖父母や父のゴミ溜です。
だからドサッとたくさん私に降りかかってくるような気がします。
だから、私は罪悪感に苛まれるのかなぁと思いました。
母もつらいのだろうなと思うから。

母にもうやめて、聞きたくないとも言えずにいて、かと言ってしっかり聞くこともできず、また背中が痛くなってしまった。
  


2009年11月30日 Posted by JJ at 01:19Comments(0)AC

感じること

コメントをいただいたりメッセージをいただいて、いろんな事を思いました。
私の癖。
自分で何とかしなきゃと焦る心。
頭でっかちになっていたかな。
私はこう思う。
それが他人の言葉を借りた偽りの自分の言葉だったり。

感じること。
つらいと感じること。
それがとても難しく、怖い。
一体どれほどの苦痛を自分が感じていたのかわからないから。
心を閉ざしてから長い時が経っています。
開きつつあると感じたら、いい人のインナーチャイルドにしてやられてた(というイメージ)。
これはもう、幼い時に心に植え付けた決意との戦いじゃないかとさえ思います。

園児の時にみんなが可愛がるリカちゃん人形をめちゃくちゃにしてやりたいと思ったこと。
女性として生まれたことに対して強い嫌悪感があります。
  


2009年11月29日 Posted by JJ at 08:40Comments(2)AC

価値観

コメントをいただいて、考えています。

私の両親がどのような子を良い子としてきたか。

彼らの言うことをきく子。

我慢や絶望はそこから生まれた感情だと思います。
と言うのは、私の両親の発言は一貫したものが無く、気分によって変わるからです。
例えば怒られたことに対して次は怒られないようにしようと別の方法を試みても、同じように怒られる事があるわけです。
気分によって怒ったり、面白くない部分を見つけてつついたり…本人たちが常に自分に対しても不満を抱いているから、それを我慢して受け入れる「耐える子」が良い子だと私は捉えたのかもしれません。

私はそれが嫌で、大きく反発していました。
それが現在までの怒りの表現に結びついているのではないかと思います。
  


2009年11月26日 Posted by JJ at 11:26Comments(4)AC

昨日の補足

相手の気持ちや自分の気持ちを手放すことで、逆に相手を見守るということができるのだと気づきました。
反りの合わなかった医師のことも、あいつって最悪!というような気持ちを手放すことによって、そういう人も存在するよなーと思えるようになるというか…

要するに、相手に期待をしないことで、ラクになるということです。
それに気づきました。
  


2009年11月25日 Posted by JJ at 19:18Comments(5)AC

いい人

以前もこの題名で日記を書いたような…
一度カウンセラーに言われたことがあります。
いい人になる必要はない、と。
ACの回復過程で誤ることが一つあるなら、いい人になろうと努力してしまうことかもしれません。
他人を受け入れる練習を積み始めると、知らず知らず自分自身の意見を無かったことにして他人を受け入れようとする場面が現れ始めます。
体が拒否しているのに言葉を変えて説得させようとしても、なかなかうまくいきません。
今日また考えていたのですが、例えば手放したい相手を見守るとか、皆の幸せを願う、とか、すごく難しいです。
私はいまだに受け入れていただけなかった医師に対しては反りが合わなかったと思っています。
が、彼の手でどん底に突き落とされていなかったら、自分で這い上がることもできなかったなぁとも思います。
だから感謝というよりも、あれはあれで大きな意味がある事だったんだと事実として捉えています。
賠償しろとか、突き落としてくれてありがとうではなく、ちょっと嫌だった思い出というようなニュートラルな感情です。

いい人になり始めると全ての事象に感謝しなくてはいけない、変化を見守らなくてはいけないと自分で自分の首を絞める事になるので、やはり思うがままに生きるのがラクなのかもしれません。

そう思うようになったのは、回復への道を着実に歩んでいるということかな…
自分で自分の身を守る事も大切だと思いました。
  


2009年11月25日 Posted by JJ at 01:32Comments(0)AC

回復に向けて気をつけること

前の日記を私の問題として掘り下げると、そこに残ったものは徒労と不毛であり、それは幼い頃からの母とのやり取りと重なります。
反復的な行動や思考の裏には相手からの反応という期待が含まれており、その基になる部分は私の場合は母なのです。
普段ならばスルーできるところをしなかったのは、何かしら甘い幻想を私が抱いていたからとも言えます。
「ACから回復すること」について、mixiの日記を全体公開にしております。
良かったらのぞいてみてください。

お砂糖(優しさ)の過剰接種は害になる、と仰った方がおりました。
実は私もそう思っています。
時にはスパイスが必要であり、辛いと舌が痺れながらもその反応を見ることは、とても大事なことです。
それはなぜ苦しいのかという根本的な問題から目をそらさずに、問題を真正面から見据えることでもあります。
だから、一見立ち止まっているように見える状況でも、問題を消化している最中は実は進んでいるんですね。


…と、自分に向けても、思いました。
  


2009年11月24日 Posted by JJ at 16:21Comments(2)AC