心と体

カウンセリングを始めてから2ヶ月。
腰痛が突然酷くなってしまいました。
腰ももちろん神経が通っていて、そこが痛むわけですから、やっぱり私は自律神経が狂ってるんだなぁと呑気に思っていたのですが…
ついに立てないほど痛くなってしまいました。
整形外科で泣く泣くブロック注射をするハメに。

まぁ、注射の痛さなんてほんの一瞬です。
いや…2回打ったから1分くらいかな。
その1分間、痛い痛い!と叫び通しでしたが(笑
それでずいぶんラクになったんだから、嬉しいことですよね。
あ、でも本当に注射は痛かったです。


カウンセラーからも言われましたが、カウンセリングなどを受けていて調子が悪いと感じたら、やはり病院ときちんと連携を取るのがいいと思います。
ACは子細にインタビューすると、体に何らかの問題があることが多いと斎藤学医師が書いていましたが、本当にその通りなのかもしれません。

つくづく、心と体は繋がってるなぁと思いました。

痛みは腰の付け根の背骨?の未発達が原因だったのに、今まで痛かったのは肩や首や膝。
カウンセリングを始めて自分を見つめ直したら、痛みの元が顔を出したんでしょうかね。
不思議です。
  


2009年06月30日 Posted by JJ at 23:22Comments(0)医療機関

共依存と相互依存

最近共依存について、考えています。
従兄弟のことで、どのくらい私が介入していいのか、それを考えていたからです。

私の考える共依存とは、お互いが不健康に支えあっている状態です。
その逆というか、健康的な依存関係を相互依存(支援)と考えた時、共依存の問題点が浮上してきます。


共依存とは難しく考えなくても、日常よくある人間関係の一つだと私は思います。
例えば両親や友達や恋人と交わす頼みごとや愚痴を聞くこと。
これをすることによって、嫌な気分になりつつもお互い離れられないのなら、それは健康な依存関係ではなく、共依存の関係だと私は思います。
利用したり利用されたりする関係と言えばわかりやすいかもしれません。
よく例に出されるアルコール依存者とその妻(または夫)の関係も、そのパターンです。
アルコール依存者に対してその伴侶が困っているのなら離れればいいのですが、離れられない。
私がこの人を何とかしなきゃこの人はダメになってしまうだとか、今更離れられないだとか、いろんな支障がその伴侶にはあるわけです。
でも本当の問題はその伴侶自身にもあり、それは、相手がアルコール依存者であるからこそ、自分の存在価値を見いだせるという点です。
甲斐甲斐しく世話をしたり、殴られたり、それでもこの人のことをわかってあげられるのは私だけだ、という「私」の存在価値です。
だから、アルコール依存者がいなくては自分の空虚感だけがつきまとい、安心して穏やかに暮らせないということじゃないかと、私は思います。
つまり、アルコール依存者がアルコール依存者のままであるように、無意識のうちに相手をコントロールしているということです。

私はDV男と付き合っていたことがありますが、私の意識下に「私だけが彼をわかってあげられる」なんて考えはありませんでした。
ただ、彼と離れたら大きな喪失感が残るだろうと、不安だけは感じていました。
彼は私を暴力で支配し、私もまた、彼から離れないということで彼を支配しようとしていました。
お互い、自分の中の空虚を埋めるのにはぴったりの凹凸関係です。
最後には私の方が立場が上になっていたのですが、それは私が途中で「力のシーソー」の操作を悟ったからです。
(要するに共依存関係では、支配という勝ち負けがつきまとうのです)


従兄弟の抑うつ状態は、私には衝撃でした。
気持ちが揺らぎ、落ち着きませんでした。
なぜなら、自分の過去と彼の今の状態を重ね合わせたからです。
私に何かできないだろうか?
そう考えました。
共依存関係に相手を取り込む時は、強い支配欲がその水面下に広がっています。
私は自分の気持ちを確認しました。
そして、決して相手(従兄弟家族)を支配したいわけではなく、ただ経験者として辿ってきた道を伝えるということは、健康的な「支援」ではないか、という考えに至りました。
私は自分の身を投げ出してまで彼を助けだそうと、そういった必死さはありません。
無理やり道を正そうとしているつもりもありません。
治療の提案はできるけれど、決めるのは私ではないからです。
ですが、心配していることは、事実です。


これが、最近考えていた共依存と相互依存(支援)の違いです。
専門家ではないので定かではありませんが、「依存」ってこういうことじゃないかな、と私は思います。
  


2009年06月28日 Posted by JJ at 17:19Comments(0)AC

ある人へ向けて

自分が心の病であると受け入られずにいる人も、多いと思います。

私が抑うつの状態に入ったのは約7年前、悪化しだしたのが3年前くらいだから、自発的な治療にこぎ着くまで5年かかっています。
それも、最終的にパニックになったから、子供もいるし仕方無く病院を予約したという具合です。
私は心の病である自分を認めたくなかった期間が非常に長く、今こうして公言できるようになっていますが、それができるようになって、まだ2ヶ月もたっていません。

それだけ「インナー世間様(マザー)」の反応が怖かったんです。

病んでるって思われたら恥ずかしいとか、外部の人間に弱い人だと知られてしまうのではないかと、私は見えない相手に怯えていました。
以前円形脱毛症で抑うつや不眠の酷かった時期に、家族から
「キチガイ」
と言われたことがあります。
それも、大きかった。
彼らもまた、心の病である人が「弱い人間」だと、目に見えない誰かを基準とした批判を私に向けたのだと、今は思います。

抑うつの状態を認められないのは、そんな自分を否定するからです。
「インナー世間様」の気に入る「自分」を作り上げようとして、つい弱くないフリをしてしまう。
でも、弱い自分だって、大切な本当の自分なんです。

「実はずっと抑うつ状態でした」と私から聞いた人が、私と縁を切ったり、または笑うことがあったとしたら、それは私の責任ではなく、相手の心の問題がそうさせているだけなのです。
だから、自分という人間が強くなくたって本当は問題ないのだし、世間のイメージする「男らしく」「女らしく」ある必要なんてまったく無いと、今の私は思っています。
だってそれは…私の(または親の)作り上げた「世間」の勝手な「期待」なのだから。
「期待」にこたえなくても、自由に生きていいんだと、私は思います。

今私は「私」として生きることを、練習しているところです。

それは、相手にはっきりと自己主張できる「私」だったり、相手の無理な期待をあえて読み取らない「私」だったりします。
相手の無理な期待と書きましたが、これは私が勝手に読み取っていた相手の「気持ち」です。
この人今私にこうして欲しいんだろうな、と気持ちを読んだりすることは、ある意味日本の文化なのかもしれません。
それを、あえてしないということです。
要望は口に出さないと、愚痴になります。
それが溜まると、ストレスになります。
しかし、相手の気持ちを勝手に読んで、自分の要求を口に出したら相手が嫌な気分になるんじゃないかと、私はずっと怯えていました。
そして、自分の方が嫌な気持ちを抱え込みすぎて、最終的には自分が潰れてしまいました。
気持ちを読み取らなくなっただけでも、私は生きるのがずいぶんラクになりました。

大嫌いで顔を見ると震えてしまうほどフラッシュバックの酷かった相手と、先日普通に会話することができました。
抑うつの悪化の原因となった人です。
私はもう、その人に憎しみは抱いていません。
また何か言われるようなことがあったら、私ははっきりと言い返せる自分がそこにいるんじゃないかな、と、思っています。

だから、どんな人でも希望は捨てないで欲しい。
大切なものを失うような選択をしないで欲しい。
ちゃんと道は開けているから大丈夫だと、大切なものを守るためには自分をきちんと見つめて傷ついて病んでしまった自分を受け入れることが大事だと、私は伝えたいです。
  


2009年06月26日 Posted by JJ at 17:15Comments(0)AC

6月24日 5回目

まず、ここ2週間の心の動きをカウンセラーに話しました。

従兄弟のうつに動揺し、それに伴い、このブログを両親に「私の気持ち」として見せたこと、そして両親の反応にまた動揺したことなど。

私は従兄弟のうつも、問題は違えど、私と根は同じだろうと思っています。
「自分を殺して生きる」ことに慣れていると、自分が何をしたいのか、どこへ向かえばいいのかわからずに混乱している状態だと思うからです。
それが悪化すると、言葉通り「自分を殺す」という事故が起こりかねないから、私は動揺したんだと思います。
カウンセラーは真剣に考え、
「病院やカウンセリングを従兄弟の方も受けられるといいかもしれません」
と答えました。

私は従兄弟と自分を比較し、役割の違いについて話しました。
(家庭環境のことも踏まえて、カウンセラーに伝えました)
彼は幼い頃から「いい人」で、正義感が強くて優しい人。
お母さんやみんなの「支え役」。
私は両親に反抗することが生きがいになっていた時期があり(スケープゴート)、でも本当は「支え役」にすごく憧れていた、と。

そこから反抗の話題に移り、20代前半の、カジノの世界にハマっていた話と、これじゃいけないと実家に戻り半引きこもりになってしまった時の話をしました。
当時付き合っていたDV男の話もしました。
20代前半の私は未熟で、なぜそれを望んだのか、まるでわかっていませんでした。
警察というか…新宿署の厳ついマル暴が、目が覚めたら部屋にいたこともあります。
薬の家宅捜索です。
私は薬はやっていませんが、そういうスレスレの世界に実際いたんです。

カウンセラー相手に話をしていると、やっぱり20歳の私の中にも4〜5歳の私がいることに気づきます。
どうしたらDV男の愛を勝ち取ることができるのか、そればかり考えていたな、と。
DVすらも、仲が深いからだと勘違いしていた部分があります。
彼にはわき腹を思い切り蹴られたことがありますが、なぜか今でも時々痛みます。
もう10年もたっているのに、不思議です。


半引きこもりの時に、私はカジノではなく、ネットに依存するようになりました。
そこで、いきなりナショナリズムの開花です。
「ネット右翼」の先駆けだったのかなぁと私は笑いながらカウンセラーに話しました。
これを話すのはすごく恥ずかしくて抵抗がありました。
だって、日本に「愛国」を語る土壌は、戦後はほぼ無いのではないかと感じているからです。
私の言うナショナリズムとは、他国排斥国粋主義ということじゃ、ありません。
自分の生まれ育った国日本を愛してるかどうか、ということです。
慰安婦問題などでもたびたび問題になりますが、私たちの「親」である政治家が既に謝罪と賠償をしている、それでも私たちは一生罪を背負って行かなくてはならないのかしら?と疑問に思うのです。
その時代にはその時代の「掟」があり、それに従うのが生き長らえる道だったとしたら、植民地支配は侵略でした、と、現代に生きる私たちが負の十字架を背負って生きる「べき」なんでしょうか。

多分、私は自分の家族や周りを飛び越えて、ナショナリズムという枠で「自罰的行為」に嫌気がさしていたんだと思います。
親の負を背負って生きることは、自信を無くすし、言動も慎重になります。
それは何も軍事費をかけて核武装などをすれば強くなれるわけではなく、真の強さが無いというか、まさに他人(他国)主導の人生(国体)ではないかと思ったのです。

…街宣車に乗りたいわけじゃありませんよ、本当に。
わかってもらえますか?
私(自国)を愛さなければ、他人(他国)を尊重できないんじゃないか、と、そういうことです。

23歳の私はそんなことを考えていたのに、なぜ自分については10年も気づかずにいたんでしょうね。

カウンセラーも昨日は目が点になっていました。
私の人生はジェットコースターのように上下激しく、いろんな経験をしています。
今は穏やかで、そんな静かな生活を徐々に楽しめるようになっている自分が、本当に嬉しい。

過去を振り返ると我ながら変人だなぁと思うけど、変人な自分もやけに一生懸命で、なんだか愛おしく感じます。
  


2009年06月25日 Posted by JJ at 10:54Comments(2)カウンセリング

孤独とは

私はパーソナリティ(人格)障害やアダルトチルドレンの本を何冊か読んでいます。
その中で私にとって非常にわかりやすかった本が、斉藤学と西尾和美の本でした。
境界例については、わざわざパーソナリティ(人格)障害とカテゴライズする必要が無い、という斉藤学の考えが、私にはしっくりきました。
要するに、原因は同じだけれど、症状に違いがあるというだけだからです。
私はリストカットや薬のオーバードーズ、アルコール依存、摂食障害などは、ありません。
でも、気落ちすると「何か」に依存しますし、不安が酷くなります。
死に対する不安が強いので、リストカットなどは怖くてできません。
だから、嘔吐無しの過食や倒れない程度の拒食に走ったり、円形脱毛症やアトピーなど自己免疫を狂わせたり、神経症になったりするんだと思います。

今まで、対人関係では共依存関係に陥り、その悩みから物質依存や身体症状が現れることがよくありました。
実は対人関係の共依存というものが、その「病の症状」の元凶であるのではないかと、私は思っています。
リストカットや摂食障害などはそれによる結果であるのに、多くのパーソナリティ障害の本や精神科医がそれを切り離して考えるから、私のように行き場に困る人が出てくるんだと思います。
だって入り口は同じなのに、出口が違うからって、治療してもらえないんですから。


アダルトチルドレンは「孤独」に耐えるのが難しいんじゃないかと思います。
だから、何かに依存する。
何かに依存している最中は、「孤独」を忘れられるから。
それが「嗜癖」と呼ばれるものなのですが、ギャンブルやアルコールや薬や仕事といったものは対人関係での依存の結果の一つです。
相手と心が通い合うと「信じて」、それで喜んだり絶望したりする。
でも、心が通い合うって、その状態は目に見えるものではありません。
自分が「通い合った」と思ったならそれはそうなのだし、「合わなかった」と思えば合わなかったということです。
なのに、それを証明しないと気が済まず、それが相手への試し行為になるんだと思います。
あなたはどれくらい私のことを大切に思ってる?
私はこれだけ忠誠を尽くしているんだから、あなたもそれを証明してよ!
と、ほどよく実現可能な注文を相手に投げかけます。
そうすることによって、自分が「孤独」ではない、と信じたいんだと思います。

でも人は生まれてから死ぬまで、一人です。

人から一体感を得られないなら、物質や病気でそれを紛らせる。
人との一体感なんてものは永遠に手に入らないから、それを紛らせることに専念してしまう。
だから、いつまでたっても迷路にはまりこんだように症状が治らない。

そういうことだと思います。

では一体感って何でしょうか。
私はアダルトチルドレンには「自分自身との一体感」が欠けていると思います。
だから、それを他人に求めてしまう。
「私自身との一体感」は、言い換えれば「何でも肯定してくれる内なる母」です。
母とは前の日記でも書きましたが、世間と書き換えてもいいと思います。

この自分との一体感を感じることは、孤独を生きるということです。
孤独だけれども、他人に依存する必要はなく、円満な人間関係が存在する幸せな孤独ということじゃないかと、私は思っています。
  


2009年06月20日 Posted by JJ at 23:04Comments(2)AC

再び、役割について

姉と話をすると、自分と彼女の役割の違いを実感します。
私は姉の役割を喉から手が出るほど欲していたんだと、昨夜気付きました。

両親は姉を頼りにしています。
私もそうです。
姉に愚痴や相談をして、その小さな(もう小さくないですけど)お母さんに許しや愛情を求めます。

私はそれが羨ましかった。
お父さんやお母さんに必要とされたいと心底願っていた。

それ(境界の侵害)が両親の「愛情」だと、私はずっと勘違いしていました。

私には弟がいますが、弟は生まれた時から実家(と、祖父の興した会社)を継ぐという、自動的に存在を必要とされる「愛情」がある、と私は思っていました。

私の存在は何だろう?
いる必要があるんだろうか?

私は自分が生まれた時に、父が看護師さんから
「女の子ですよ」
と聞いて、病院の階段に座り込んでしまったという話を聞いていました。
もちろん、がっかりして、です。
「でも顔が一番お父さんに似てたから、あんたのことを本当に可愛がったのよ」
とは、その話に続く母の言葉です。
それでも私は、長女でもなく男でもなく生まれてきた私に、存在理由を見つけることが困難でした。
「愛情」には理由が必要なはずだ、と、歪んだ認知を持っていたからです。

私は実家の会社で働いて、どうにかしてお父さんやお母さんに必要だと思わせたいと、必死になりました。
必死になればなるほど、弟は会社に来なくなりました。
弟の役割は「愚図でどうしようもない子」です。
彼はふてくされることで「その役からおりたい」と一生懸命メッセージを送っていたけれど、悪循環にはまりこんだ彼を、私はさらに抑えつけました。

私が妊娠5ヶ月の時に、ついに弟が爆発しました。
自分の本当の気持ちに気づかずに、相手にそれを伝えられないACの人が攻撃的になる瞬間です。
彼もまた、私の役割を欲していたんだと思います。
私は会社を辞めることになりました。
そのまま残ることもできましたが、両親から必要とされる従順な子供に憧れていた私は、辞める選択が両親を幸せにするという矛盾した気持ちを抱いていたのです。
妊娠していて体調が思わしくないので辞めることになった、と、翌日私は退職しました。

もともと「親の愛を勝ち取りたいための実家での仕事」であったから、辞めることは最初の欲望に矛盾しています。
そこには「自分」というものがありません。
両親の言動が、自分の欲望を左右します。

私はその後混乱しました。
やっぱり私は、私が存在する意味がわからない。
そうして両親に対する深い憎悪と絶望に囚われて、一気に「うつ」へと転がり落ちていきました。


息子が生まれてから、私には「この子には絶対にそんな思いはさせない」という、強い思いがありました。
両親に対する批判を含む思いです。
しかし、ある時実家へ行くと、父と弟が仕事の話をしていて、私はたまらなく羨ましくなりました。
愚図でどうしようもないはずの弟が、両親から必要とされている!
私は幼い息子を抱えて彼を認めることに毎日必死なのに、誰が私を認めてくれるの?
誰も認めてくれないじゃない!

私は両親と弟と息子のいる前で、泣き叫びました。
「子供さえいなければ、それは私の仕事だったのに。あんた(弟)なんて死ねば良かった。あんたなんて生まれてこなきゃ良かった。なんでそんなに私の人生の邪魔をするの」

私はボロボロでした。
子供のままの私が子供を育てるなんて、限界でした。
私は息子の前で「子供さえいなければ」という呪いの言葉を吐いてしまった。
弟に対しても、「愚図でどうしようもない」役でいろ、さもなきゃいなくなれ、という脅迫を、してしまった。

被虐待者が子供を育てるときに、今度は加害者になってしまうことがある、と聞きますが、私もそうでした。
肉体的暴力は無かったけれど、私はそれと同じくらい苦しい精神的暴力を息子に与え、小さな彼を追いつめてしまいました。
子供はどんなに小さくても両親の気持ちをきちんと取り込んでいます。
彼は私に噛みついたり、癇癪を起こすようになりました。
自分が存在していいのか悪いのか、多分その混乱から、暖かい内なる母を求めていたんだと思います(推測ですが)。
私が気づかないままでいたら、彼はそのままの自分を否定し、私の気に入る自分を作り上げていったんじゃないかと思います。
どんな役割かわからないけれど、私は無意識のうちに、私の舞台で彼を演じさせようとしてしまった。

ACはいつも他人の舞台で演じているような気がします。
それはやはり、両親が自分の空虚さを埋めるために設けた心の舞台に、子供たちを取り込もうとするからではないかと、私は思います。
私は自分の「被虐待」「加虐待」である経験から、強くそれを感じました。
私は今、私自身両親の舞台から役をおりたし、息子も私の舞台から役を外すことができたのではないか、と信じています。

自分の人生に役なんて必要じゃありません。
だから、私はそのままの私で、生きていきたいと思っています。
  


2009年06月19日 Posted by JJ at 10:20Comments(0)荷下ろし

メッセージ

「インナーマザー あなたを責めつづけるこころの『お母さん』」
斎藤 学 著
新講社
1500円+税


機能不全家族に育ち生き残った人たちのことをサバイバーと言うそうだ、と私はこのブログの最初に書いています。
では、サバイバーであることにもこだわりが無くなり、魂の成長(という言い方が私はぴったりだと思います)を遂げた人を何と呼ぶのかというと、スライバー(thriver=成長者)と、斎藤学は書いています。
この本は斎藤医師へのサバイバーからの手紙から始まり、間に斎藤学の医師としての意見が書かれ、最後にはスライバーから斎藤医師への手紙で終わっています。

サバイバーはいわばもがき苦しんでいる状態です。
私もまた、そのような状態になることが多く、それでもプロローグの手紙の女性のように、少しずつ自分の気持ちや体の痛みに耳を傾けることができるようになってきました。
なぜ抑うつを感じるのか。
なぜ吐き気がするのか。
めまいや頭痛は?
いろんなことを考えます。
以前は混乱していて、一体何が問題なのか…何が悲しくてつらくて不安で怒っているのか、わかりませんでした。

斎藤学は、私の日記で「境界の侵害」と表現した「虐待」の結果生まれたものを、「カプセル」と表現しています。
母(家族)のカプセルです。
私は引きこもりが「子宮回帰」を表現している状態であるという部分に納得しました。
母子のカプセルに閉じこもり、依存している状態です。
自分自身、外の世界が怖いと感じることが多く、外の世界に出て行くことが億劫になっていた時期があったので
「ああ、私はお母さんと本当に分離ができていなかったんだなぁ」
と、今実感しています。
でもそのカプセルからどうしても出たくて、暴れたり体を壊したりして、私は外界へ(あるいは私や両親へ)メッセージを必死に送っていたんだろうと思います。
母(家族)の期待に沿う形で、または敢えて反抗という形で、アダルトチルドレンは狭いカプセルの中に囚われているんだと思います。
そこには「頑なな」姿勢があります。
表面上は「カプセルから出ない」という、頑なな姿勢です。
水面下では出たくて仕方ないのに、それが恐ろしいものであると思いこんでいるからです。

体が不調な時、気持ちが沈み込んでいる時、価値観の変化を受け入れられない時、そういった時は、カプセルを実感している時です。
それは何も実際の親との関係で起こるものではなく、友達との付き合いや妻や夫、姑や舅、同僚や上司や部下、いろんなシーンであることだと思います。
そこで問題が生じた時、カプセルに留まっていたいという願望と、もう囚われたくないという葛藤があるんじゃないかと、私は思います。
親との行動パターンを他人との間で繰り返してしまうのも、このカプセルに閉じこもっているからです。


カウンセラーの

「いい人でいる必要は、ないんですよ」

という言葉は、カプセルに戻りたがっていた私を客観的に知ることができた言葉でした。
私は抑うつという形で、私やカウンセラーにそれが苦痛だというメッセージを送っていたのです。


この本は自分自身を振り返るために非常に有効な内容が書かれています。
それだけではなく、今子育てで行き詰まっている方がいたら、すすめたい本でもあります。

大人だって正しい時も誤ることもある、だけど基本的には自分も他人も尊重していて、その感覚は限りなく「自由」なのだ、ということを再確認しました。
  


2009年06月18日 Posted by JJ at 16:34Comments(0)

村社会の掟

ドラマ「おしん」について私の抱く嫌悪感は、発言権の無い一人の不幸な女性が美談として語られている点です。
今私は斎藤学の「インナーマザー あなたを責めつづけるこころの中のお母さん」を読んでいますが、本の紹介はまた後日に改め、「おしん」に繋がる、気になった点を記したいと思います。


インナーマザーとは、何も実際のお母さんには限りません。
斎藤学が「インナー世間様」と書いたように、そこには家族の中の「大人」からみた「世間様」が含まれると思います。
じゃ、「世間様」って何だろう?
私は「世間様」とは「村社会」ではないかと思います。
まず家族という「村」、そして町内会などの「村」、市町村という「村」、会社や学校や友達という「村」、ネットという「村」など。
「村」は「コミュニティー」と似ているけれど、風通しのよくないものを喩えて私は「村」と記します。
村八分って言葉が存在するように、村の掟から外れると、村人から制裁を受けます。
同じように、家庭内でも学校でも会社でも、実際に近所付き合いやネットの中でも、今もって村八分という「イジメ」は存在します。
弱いものが虐められ、強いものが大手を振って歩いている。
強者と弱者の違いは「体の大きさ」だったり「年上」だったり、「持ち物」や「肩書き」や「貧富の差」だったり、様々です。

家族という最小の「村」では、強者は父や母です。
祖父母がいれば、彼らが強者として君臨している場合もあるでしょう。
家族の中での子供は、生まれた時から「後から生まれた」という弱者のハンデを背負っています。
そのハンデを強者である親たちが理解し、風通しの良い「あなたは選択する自由を与えられ、尊重されている」という「コミュニティー」を作り上げていく家族が、機能している家族ではないかと私は思います。
反対に、子供が「村の掟=秘密やタブー」を両親や祖父母から共有することを担わされ、その掟を破ってはならないという抑圧を受けているのが、機能不全家族です。

大人しく「村」の戒律を守り、自分の欲求を殺して生きていくのが、「おしん」です。
おしんの最後は、幸せだったでしょうか。
私は、おしんは自分の中にある積もり積もった恨みを、自身の子供や孫に受け継がせたと思います(ドラマだからその後は想像ですが)。
おしんの子供や孫は「村への恨み」を「黙って、耐えて生きていくことの素晴らしさ」というように美しくすり替えたおしんおばあちゃんの「掟」を信じて成長したのではないかと思います。
そして、より大きな「村」(学校や会社や近所付き合い)で他人とのコミュニケーションが行き詰まると、その「掟」を守ろうと必死にもがくようになったのではないかと想像します。

「掟」は呪いのようなものです。
「おしん」の最終話のシーンを、私は忘れられません。
近代化した現代の日本で、身綺麗にしているおしんおばあちゃんが家族とともに現代的な家でくつろいでいるシーン。
私はそのシーンが怖くて仕方なかった、だから覚えています。
そんな強い恨みを抑圧して笑っているおばあちゃんなんて、恐怖そのものです。
「大根飯くいてぇ」って恨みが、脈々と受け継がれているシーンだと思いました。
だから、「おしん」は私にとって美談ではなく、悪夢のようなホラーなのです。


自分らしい人生を歩んでいるようで、何かに囚われて身動き取れないでいる(自分の気持ちの変化を受け入れられないでいる)状態は、「村社会の掟」に縛られているのかもしれません。
それは自身の人生に大きく影響を与えます。
余談ですが、私は「KY(空気読め)」も、まさに「村社会の掟」だな、と思っています。
人はもっと、自由に思考し、発言し、自分の行動に他人の承認を絡めずに責任を取ることができる生き物だと思うからです。
他人や自分の承認を求めるからこそ、「KY」という発想が生まれたんだろうなぁと私は思いました。
  


2009年06月18日 Posted by JJ at 11:11Comments(0)AC

正当な自己主張

「自己主張(アサーティブネス)トレーニング 人に操られず人を操らず」
ロバート・E・アルベルティ/マイケル・L・エモンズ 著
菅沼憲治/ミラー・ハーシャル 訳
東京図書
2000円+税


気持ちをうまく伝えられないということは、この本の副題にあるように
「人に操られたり、逆に人を操ってしまう」
ということが問題になります。
人を操る攻撃的な人がこういった本に目を通すのか疑問ですが、消極的な人がこのアサーティブネストレーニングを積むことによって、そういった攻撃的な人にもきちんと問題を指摘できるようになる、ということではないかと思います。
消極的な人も、追い詰められると攻撃的になってしまうことが多いので、その点では副題の通りなのですが。

私は、この本を読んだからといってなかなか実行できるものではないな、という感想を持ちました。
しかし、参考書としては十分な内容だと思います。
私の場合は「人との接触をできるだけ避けたい」と思うほど弱りきっていたので、ハードルが高く感じるのかもしれません。
同じようにこの本を読んで実行が難しいと感じる方は、信頼のおけるカウンセラーのもとで小さな練習からしていけばいいんじゃないかと思います。


ところで「自己主張」って、もともと日本の文化にはあまり縁がないもののように感じるのですが、どうでしょうか。
謙虚の方が美徳とされる気がするのは、私が消極的な人間だからなんでしょうか。
私はアダルトチルドレンという、そういう状態ですら、もともとはタブーというか当然なこととして長く日本にあった「文化」だと思います。
「おしん」は有名なドラマですが、あれを見るとおしんはアダルトチルドレン(境界例)にならないの!?という感じです。
あのドラマは80年代前半に放映されていたと思いますが、その頃まで確実に「発言権の無い人たち」って存在していたと思うんです。
謙虚に、耐えて、余生は静かに穏やかに生きる、その姿が涙を誘う物語となる。
「おしん」は視聴率もかなり高かったように記憶していますが、自分と重ねて涙を流す人も多かったんじゃないかと思います。

アダルトチルドレンの問題や自己主張の必要性などは、やはり時代に合わないからこそ、あぶり出されてきたものであると思います。
独裁や戦争という抑圧が無くなり、それにより個人に権利が与えられたのに、「家族」という枠の中では家父長制度が依然として生きている、それが情報化(合理化)社会にはマッチしていなかった、そういうことだと思います。
もちろん、昔からそういったことが原因で神経症を患ったり人格に歪みが出る人は存在したと思います。
ですが、「抑圧」のもとではそれほど「異常」とみなされなかったのではないかと、私は思います。
アダルトチルドレンとは時代の変革の中で生まれた問題であり、これが淘汰された時、果たしてどんな世界になっているのか、興味があります。
  


2009年06月16日 Posted by JJ at 23:50Comments(0)

境界の侵害

境界について昨夜書きましたが、では境界の侵害(侵入)とは何か、何に影響を与えるのか、具体的に記しておきたいと思います。
境界の侵害が幼い頃から連続して行われていると、境界そのものを理解することが難しいと思うからです。

境界の侵害とは、つまり「個人の思考が尊重されていない状態」です。

私はこれが好きだ。
私はこれが嫌いだ。
例えばこんな単純な欲求があるとします。
それを両親が自分の好みを押し付ける、それも境界の侵害にあたります。
すると、子供は自分の「気持ち」に混乱が生じ、なぜ自分の欲求は両親に承認されないのか、幼い頭で考えます。
幼い子供の世界は両親(家族)が中心です。
自分より大きな両親は「神」のような存在です。
そして、そこで自分の欲求が両親の言動で否認された場合、自身の考えが間違っていたからだと、子供は判断するようになります。
これが正しく行われた場合…例えば他人を叩いたり噛んだりすることは間違いであると本人が判断した場合、初めて親と子の関係による「躾」になるのだと思います。

境界の侵害を受け続けると、「相手の言動を受け入れがたくても、やはりそれが正しい」という勘違いと、「自分本来の欲求を抱くことは間違いであるのか?」という葛藤が生まれます。
そのために、必要以上に他人に攻撃的になったり、消極的になったりするのだと、私は思います。

子供も発言権を持つ、一人の人間です。
子供の健全な発言までを大人の都合で抑えてしまうのは、「虐待」「過干渉」です。

境界の基礎はまず、言語の不自由な子供の要求に耳を傾け、両親がそれに対して真剣に答えるというコミュニケーションから生まれると思います。
それを怠ると、子供は「自己主張」が「悪いものである」と無意識のうちに思い込み、その人の「進路」「趣味」「経済観念」「仕事」「恋愛観」「結婚観」「子供を持つこと」など、「生き方」全般に、影響を与えます。
両親の思考を自分のものと取り違えてしまうからです。

境界の侵害とは何か、それを知ることは、自分本来の気持ち(欲求)を取り戻すことに繋がります。
そのためには、等身大の自分自身を愛することを意識して行うことが重要だと、私は思っています。
  


2009年06月16日 Posted by JJ at 09:59Comments(0)AC

境界

私には2歳半の息子がいます。
私は時々息子のことを遠くから眺めて、「この子は今何を考えているんだろう」と推測します。
喋り始めて約1年。
コミュニケーションをしっかり取れるほど彼の語彙はまだ多くないし、私と彼の関係には、私が「彼の思考を推測する」という手間をかけないと、分かり合えないものがあります。
このように、母と子の間には、幼いうちは境界というものが明確ではありません。
私が推測を誤ることもあり、彼とぶつかることも度々あります。
それでも「私が推測したこと」を彼に示し、彼が求めていたものは何だったのか、できるだけ彼の思考を尊重しようと試みます。
その要求を実現することが無理であった場合には、きっぱり理由を述べて(または行動で示して)、断ります。
彼が語彙を増やしていけば、そのうち自分の言葉で要求を口にするようになるでしょう。

境界とは、個人と個人がお互いを尊重しあうことで、初めてその間に引かれるものだと、私は思います。
その境界を他人との間に引く力は、母と子が言語以外で繋がる3歳頃までに育まれるんじゃないかと、私は考えています。
もちろん、家族である父や祖父母もそれを理解し、協力することが望ましいと思いますし、3歳を過ぎても子供は言語外の「雰囲気」にまだまだ敏感ですから、それに注意を払う必要があると思います。


私は何冊か「人格障害」の本を読んでいますが、他人との「境界」というものと「3歳までの重要性」がいまいち理解できませんでした。
「他人との境界って何だろう?」
それが、わからなかったのです。
わからないゆえに、私は私の期待が私のものではなく、息子のものであるように勘違いしたままであったかもしれません。
私は彼が生まれてから2年以上、彼を尊重できていたかというと、まるでできていなかったな、と思います。
彼の思考の推測をするほど私に余裕が無かったからなのですが、私が自分を見つめ直す作業を始めると、彼の姿がはっきりと見えるようになりました。
彼の望むこと、拒むこと、それには彼なりの理由があり、まだ幼いけれど、私にきちんと「僕を一人の人間として尊重して欲しい」と、動作で示しています。

私は今、ようやく息子を一人の人間として見つめることができ、彼と対等に付き合えるようになりました。
親だから、「絶対上」であるわけではなく、これを子供への「躾」と混同すると、「虐待」「過干渉」になるのでは、と思います。


境界とは、お互いを認め尊重しあう、「私」と「あなた」の間にある一本の線なのだと、気付きました。
  


2009年06月16日 Posted by JJ at 00:14Comments(0)AC

変えられないもの

私は子供の頃から時々悪夢をみます。

やってはいけないとわかっている事をやってしまったことにより、「お化け」を呼び寄せてしまうという内容で、「やってはいけないこと」の条件は、夢によって違います。

昨夜もまた、みました。
ある場所をドライブしていて、その場所にまつわる怪談を友人と話しています。
その場所でその怪談を話すとお化けが出てきてしまうという事を知って、話終えた私は後悔し、怖くて仕方がない、という夢です。

すごくわかりやすい夢です。

私は私の本心を語るのが、怖いんです。
昔から。
それが「お化け」となって、夢に現れるんでしょうね。
「お化け」は相手の心だと思います。
話した後悔は、それによって「お化け」に何かされるんじゃないかという恐怖からきています。
現実では私自身大人になっているのだから、恐怖だと思う必要もありません。
それでも怖い。


父がまた、心のシャッターを閉じてしまいました。
確かに彼らにとっては傷つくような文を私は見せました。
子供返りしていた私を父が受け止められないのは仕方ないと頭ではわかっていても、私は怖かったんだと思います。
お父さんに、また、冷たい態度を取られちゃった。
そんな感じです。

だから、そんなことしなきゃ良かった。
なんでまた、試し行為をしてしまったんだろう。

私は自分を肯定しようと思ってたけれど、やっぱりそんな否定が入ったんだと思いました。

私は無言の「お化け」じゃなくて、お父さんの本心とぶつかりたい。
なんで私に気持ちを話してくれないのか、なんで無関心を装うのか。


これは叶わない夢なんでしょうか。
きっと、私は叶わない夢だとわかっています。
だから、心がざわつくと、そこに執着してしまうのだと思います。


斉藤先生の本にACのグリーフワークの際に皆で声に出して言う「平安の祈り」というものがありました。
著作権などの問題があれば削除しますが、私にとってもACの方々にとっても非常にためになる祈りなので、転載させていただきます。


神様 私にお与えください
変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものを変える勇気を
そして その二つを見分ける賢さを



神様とは、「その時」のことだと、私は解釈しています。
  


2009年06月15日 Posted by JJ at 09:53Comments(2)AC

ACの無力感

久しぶりにネガティブな力に引き寄せられて、今日は半日眠ってしまいました。
ある人が「どぼん鬱」と書いていたけれど、それと同じだと思います。
それでも、自分のその状態に早めに気付いて薬を服用したり、両親に泣き喚いたりすることもなく気持ちを伝えられ(まぁ衝動的でしたけど)、レベルは低いんですが、私にしてみたらものすごい進歩です。

アダルトチルドレンの特徴の一つに
「他人の世話をやく」
というものがありますが、私はそれがとても強いです。
先日、私の従兄弟が鬱のような状態であると聞き、私は何とかして彼を助けられないかと思いました。
抑うつや、アダルトチルドレンもそうですが、他人が助けられるものではないという事実を、私は既に知っています。
他人は支えにはなるけれど、最終的に自分を助けるのは自分自身の生きる力に気付くことだと、身を持って知ったばかりです。
それを知っているのに、私は彼を助けられない無力感でいっぱいになりました。

先週カウンセリングで話した
「他人に気持ちを伝える」
というテーマから、過去の様々なシーンがフラッシュバックされ、私の心は「過去の私」に支配されていました。
心に「私」が無く、空虚な私です。

アダルトチルドレンは、その空虚を埋めるべく、他人の世話に奔走します。
それは「いい人」だからではなく、自分が役に立つ人間であると周囲に証明することにより、存在価値を認めてもらえるのではという「期待」だと、私は思います。
私個人のことを考えれば、そうです。


私は途中でようやく気付きました。
そうだった、私は私にできる範囲のことをすればいいんだ。
そう、思いました。

以前にも書きましたが、私は他人との境界が曖昧です。
その人の苦痛を、まるで私のことのように勘違いすることが、多々あります。
他人の私としてできることは、限られている。
つい、そこを飛び越えてしまいます。

従兄弟が元気になれること、すなわち生きる力に気付くことを、私は遠くから見守る。
それが私にできることであり、必要ならばカウンセラーを紹介する、それくらいかな、と思いました。

私はいつも前進とは限らなくて、後退しつつ、進んでいます。
  


2009年06月14日 Posted by JJ at 23:29Comments(0)AC

愛するということ

抑うつ神経症というのは、今は気分変調性障害と言うそうです。
詳しいことはわからないけれど、気分の変調障害と言われれば納得してしまうほど、私の気分は私自身ではコントロールできません。
アダルトチルドレンである人はPMS(月経前緊張症候群)である人も多いような気がしますが、どうなんでしょう。
今はそれが関係しあって、不安定なのかな、と思っています。

不安定な時にやってしまうことって、いろいろあります。
今までは泣きわめいたり物を壊したり。
お父さんやお母さんにわかってもらいたくて、暴れていました。
30歳を過ぎても、子供と同じです。

今回、私はこの日記を両親に見せました。
酷なことだったでしょうか。
でも、私は罪悪感を持つことはないと、自分を信じました。
なぜなら、私が感じたことは、私にしかわからない事実だからです。
その気持ちを伝えることは、私は私に嘘をついてないと、判断したからです。
ただ、感情的というか、感傷的な気分になって伝えてしまったのは、コントロールがきかない部分だったな、と思っています。

斎藤学の著に「ある時期になると両親に自分の気持ちを伝えたくなったり抑うつが酷くなる場合もある」と書かれていましたが、私もそういう時期なのかもしれません。

母からメールがきました。
母の、私を愛していたという気持ちが私に届いていなかったということが、残念だったということ。
私は実家に電話をしました。
母は時折涙声で話していました。
日記が、本当に私が感じたことなのか、信じられないようでした。
それでも、母が母の気持ちを私に直接伝えてくれたことが、嬉しかった。

愛の延長線上に憎しみがあると、斎藤学と患者の共著「変でいい。」に書かれていましたが、私の場合もこれです。
また、愛の反対にあるものは、無関心だそうです。

私はお父さんやお母さんに、愛しているからつらいのだということを、伝えました。
お父さんは

「愛さなくてもいいから、体をしっかり治せ」

と言いました。

私はなんだか涙が出てしまって、仕方ありません。

私の両親と私は、お互いうまく気持ちを理解しあえなかった。

ただ、それだけだと思います。


こうしてひたすら自分の望む愛を期待していた私のようなタイプもいれば、憎しみが消えずに苦しい思いをしている人もたくさんいると思います。
ある人は性的虐待や肉体的虐待によるフラッシュバックで苦しんでいるかもしれない。
苦しみの形もそれぞれだと思うし、度合いも違う。
だから、私は「両親をゆるせ」とは思いません。

憎しみが消えたら愛が残った、私の場合はこうだった、ということです。
  


2009年06月14日 Posted by JJ at 11:01Comments(1)AC

認識すること

今、私はまた自分の内側に向かっているなぁと感じています。
多分、そういう時期なんだと思います。
頭が冴えてしまうので、そういう時はデパス(抗不安薬)を飲んで、過ごしています。

私の友人たちは、私がアダルトチルドレンであることを知っています。
アダルトチルドレンだけではなく、私がそれによる認知の歪みから自律神経失調症を長く患っていたこと、つまり抑うつ神経症であることも、知っています。
息子がお世話になっている保育園の先生方も、知っています。

私は自分の置かれていた状況や病気を、ずっと隠したいと思っていました。
恥ずかしかったからです。
恥ずかしいという気持ちを持つことなく、アダルトチルドレンであったり、自律神経失調症であることを他人に伝えられるようになってから、私はずいぶんラクになりました。
それは、アダルトチルドレンや病気に「自分を当てはめた安心感」では無く、「ようやく素直にそれらを認められたという安堵」に近いです。

自分が特異だとは思わないけど、やっぱり多くの健康的な人とは違う部分があると思います。
だから、私は自分や自分の病気を知ることに、執着してしているのだと思います。
それも、また、いいか。
最近そう思えるようになりました。
  


2009年06月13日 Posted by JJ at 19:02Comments(0)AC

家族の中の役割

「ゆるす」という日記で、機能不全の家庭における子供たちの役割について書きました。
私は長く「反逆者」で、途中から「支え役」と「いい子」も加わりました。
人格として、まったく統一されていないのですが、実際そんな感じでした。
私は実家で、ある時は泣いたり暴言を吐いたり物を壊したり、ある時は病気の家族の看病を自分の用事よりも優先して行ったり、ある時は両親に逆らわずに彼らの言いなりになったりしていました。

機能不全の家庭における子供たちのその他の役割は
「いるのかいないのかわからない子」
「道化師のように笑わせる子」
など、いろんなものがあります。

私は自分が自然に(自分の意志で)役割を演じていたのだと思っていたけれど、そこには

「無意識のうちの両親の期待」

があるんじゃないかと思い始めました。

先日姉に
「あんたが回復してきたら、微妙に実家のバランスが崩れてきている気がする」
と言われました。

私が暴れたり病気になったり、問題を起こすことによって家族が結束していたものが、崩れてきているのかな、と思いました。
私の家族は相互に、不健康に依存しあっています。
私が調子を崩すと、必ず両親は姉に連絡をとります。
「なんとかしてやれ」
と。
本人たちから連絡がきたり、彼らがお見舞いに来るということは、ほとんどありません。

私はいろんなことに「気づき」始めた段階で、怒りではなく、自分が悲しかったということを、母に話したことがありました。
その時母は私に
「JJちゃんはそう思っていたのね」
と優しく言いました。
その後姉から
「お母さんは変わらないよ。あの後電話で話したけど、自分が被害者だと思ってる感じだったよ」
と聞きました。
私は不快な気持ちになりました。

なぜ両親はいつも姉を媒介にして、私に気持ちを伝えようとするんだろう。
なぜ姉は、それを両親に指摘しないんだろう。

私は幼い頃から、他の家族が私のいないところで内緒の話をしているような気がしてなりませんでした。
それは家族がはっきりと、本人の目の前で自分の気持ちを話さないからだと、気付きました。
私はそれが不快だということを、暴れて表現していたのかもしれません。
本当にそうだったのかはわかりませんが、
「姉だけが知っている両親の気持ち」
が、不快であったのは確かです。
それは、両親が姉を使って私の気分をコントロールすることではないかと、期待する役目を演じさせる無意識のうちの手段じゃないかと、思いました。

姉は姉で、そんな父や母の言葉を私に伝えなければいけない「相互のバランスを取る役目=いい子」を押し付けられて、それはそれで苦痛だと思います。
長くやっていると、それが苦痛であることも気付かないかもしれません。

「となりのトトロ」を見ると、姉はさつきの「めいだけじゃなく、私も両親に甘えたい」という部分に感情移入するようです。
私はどちらにも感情移入できませんが、
架空のあの両親がとても素敵に見えて、なぜか泣きたくなります。


役割は兄弟の関係に大きく作用します。
私は姉が大好きです。
ずっと私の母親役だったから。
そんな風に役を演じなくてはいけない家族は、やはり機能していないということですね。


余談ですが、私は小さい頃から、毎朝出てくるお味噌汁に「虫が入ってる!」と言っては、家族に神経質だと笑われていました。
実際虫がいたのか覚えていませんが、
「私のいないところで家族が内緒の話をしている」という部分に関係しているような気がしています。
  


2009年06月13日 Posted by JJ at 11:36Comments(0)AC

友達

私は今まで自分の気持ちをうまく伝えることができませんでした。
ついこの間も、それで悩んだばかりです。
でもこれからは「伝えてもいいんだ」ということを知ったので、少しずつ練習していこうと思っています。
まだ、難しいけれど。

私は気持ちを伝えられずに悔しい思いをしたことが、たくさんあります。
荷下ろしというカテゴリーを作ったけれど、それは癒されていない傷の話です。

私は身長が156センチなのですが、今まで体重が最高63キロ、最低が40キロと、すごく上げ下げが激しいです。
今は落ち着いていますが、落ち込んだりストレスがかかると過食や拒食に走り、そうなるのだと思います。
初めて激太りしたのは高校2年の時。
思春期というか多感な時期に太るって、不幸なことです。
私は当時の写真をほとんど捨ててしまいました。
その1年半後には体重は40キロに激減していました。
久しぶりに高校時代の友人に会うと驚かれたものです。
20歳の頃だったか、友人の誕生日会に呼ばれました。
広尾のオシャレなお店で、友人と友人の彼と、私や他に2人くらいでお祝いのランチをしました。
その時に友人の彼が私を見て
「すごく顔ちっちゃいね」
と言いました。
(東京の男の子は割とストレートに女の子を褒めてくれるような気がします)
私は嬉しかったけれど、恥ずかしくなりました。
すると友人が
「でも高校時代、すごいデブだったんだよ」
とみんなの前で言いました。
私は恥ずかしさと怒りで頭が真っ白になりました。
でも、顔は笑っていたと思います。
何も言い返せませんでした。
私はずっとその言葉を引きずっていました。
今でもムカついてしまうのは、何も言い返せなかった自分に対してなのかもしれません。
「それって友達としてヒドい言い方じゃない?ヤキモチで言ったとしても、私傷付いたんだけど」
なんでそう言えなかったのかな。

7年後、別の友人に同じようなことを言われました。
主人とはその友人の結婚式で知り合ったのですが、主人が「私と付き合いたい」とその友人に話した時に、そんな話になったようです。
私が高校時代に太っていて、こんなにヒドかったんだよと、当時の写真を主人に見せたり。
さすがに激太り&激やせから10年も経っていたし、それをわざわざ言うのは彼女の心の問題だろうと私は思いましたが、頭にはきました。


結局その二人とは縁を切りました。
私はそうせざるを得ないほど、気持ちを伝えるのが苦手です。
今でも私は二人のことが大嫌いです。
二人とも自分に自信が無くて、私という踏み台を使って立っていた感じです。
この人ならゆるしてくれると、彼女たちは思っていたんじゃないかと思います。私も自分を抑えることによって、彼女たちの暗い部分を引き出してしまった。
だから、
「もう付き合いきれない」
と私が二人に言った時、彼女たちは泣いたんだと思います。
私がそれを受け入れていると信じていたから。


あの時はっきりと、気持ちを伝えたかったな。
そしたらお互いを尊重できる、いい友達になっていたかもしれない。

友達ってそういうものであるような気がします。
  


2009年06月12日 Posted by JJ at 11:56Comments(0)荷下ろし

ゆるす

機能不全の家庭では、子供がいろんな「仮面」をかぶるようです。
いわば、家庭内の役割です。

姉が嫁ぐまで、私の家庭での役割は反逆者でした。
一般的に見たら、私は悪さばかりしていた子供です。
高校時代も両親がたびたび学校に呼ばれたりして、その後は短大を中退して、しばらくカジノで働いていました。
不思議なことに姉が嫁いだら、私は両親の支え役に役割が変わりました。
そして今の私は役割を終えて、遠くから両親を見つめています。

それまでは両親を支えつつも、心の中は憎悪でいっぱいでした。
いい子になったのに、どうして評価してくれないんだろうと。

こうして今、彼らに憎しみを感じなくなってきていることが、不思議です。

離れて見てみると、父も母もずいぶん苦労しており、それだから私がこのような状態になったのは仕方ないとは絶対に思わないけれど、彼らの苦しさは理解できます。
一部のACやスピリチュアルな本で
「父や母をゆるしましょう」
というような文を読んだとき、私は吐き気がしました。
ゆるせるわけないじゃん、そう思いました。

でも、彼らの苦労もわかるし、それが祖父母の影響でそうなっているのだということもわかります。
祖父母も彼らの両親の影響を受けて人格に歪みが出たんだろうと思うので、連鎖は本当に怖いものだと思います。

歪みはここで断ち切りたいな。

私にはそういう強い思いがあります。


私は母が父方の祖母を好きではなく、ちょっとバカにしているのではと、子供の頃から感じていました。
私の祖母の自慢は
「兄が東大で姉が師範大学出身」
ということでした。
また、祖母は自分が師範大学を落ちたことを恥ずかしく思っているようでした。
「おばあちゃんのお兄さんたちは確かに勉強はできたけど、おばあちゃんがどうだったかはわからないわね」
「おばあちゃんはプライドが高いから…」
というような話を母はよくしており、そんな話をするのに
「JJちゃんはおばあちゃんに顔も中身もそっくりね」
などと言うので、本当にイヤでした。
姉よりも勉強のできない私を、おばあちゃんと似ていると思ったんだろうか、とも思いました。
私はおばあちゃんが大嫌いでした。
なのに、そんな母からおばあちゃんにそっくりと言われるのは、私にとっては
「あんたはバカで面倒な子ね」
と言われたのと同じことのように感じていました。


やっぱりそういった悲しい事実は、忘れることはできません。
ゆるすって、一体どういう状態なんでしょうか。
憎しみが消えた今も、私にはわからないことです。
  


2009年06月12日 Posted by JJ at 00:28Comments(0)AC

6月10日 4回目

カウンセリングの記録です。

今回は学生時代の話ではなく、主に2点、気になっていた話をしました。

まず、義理の両親と主人の話。
「いい人」で書いた問題を話しました。
私は自分が損をしているように感じていて、すごくつらいです、と伝えました。
先生は
「では、なぜ義理の両親などからそのように扱われたのか、それについてはどう思いますか」
と、聞かれました。
「きっと私が私自身をきちんと持っていなくて、つつけば倒れる人間だと彼らが見抜いたからだと思います」
そう答えました。

そして2点目。
大切な友人からのメールで、なぜかわからないけれど、落ち込んでしまったことについて。
これには原因が2つあることがわかりました。
彼女はいつも親身になっていろんな話をしてくれます。
そんな彼女から、あることについてのアドバイスをもらい、自分の意見を言えないまま安易に彼女に同調した返信をしたことが1つ目。
「私はこう思うけれど、その場合はどうしたらいいと思う?と、聞いてみるのはどうでしょう」
先生の一言で、ああ、コミュニケーションてそうだよな、と私は気付きました。
私は私の気持ちや考えを素直に伝えられていなかったな、と。
そして2つ目。
彼女が深い意味で書いたわけではない一言が、私の過去に引っ掛かる言葉であることがわかりました。
それに気付いた時は、涙が出ました。
「私には本当に嫌な過去があるんです。だから、それを彼女に好きでやっていたと思われていたら、つらいです」
私はそう話しました。
「こういうことは大事なことだから、大切なお友達にきちんと伝えるといいと思います」
先生は仰いました。
「普通に話し合えることだと思いますよ」
とも。

私はそこで、その友人を失いたくないために、自分の気持ちに蓋をしようとしていたことに気付きました。
私が本音を語ったら、彼女が怒ってしまうんじゃないかと怖くなっていたことも、わかりました。


「いい人になる必要は、ないんですよ」

先生の仰ったその言葉は、今回話した2点の問題に絡む私の生きにくさを解放する言葉でした。

いい人でありたい、いい人でなくては見捨てられる、それは私の長年の処世術です。
家族という密室の中で受け入れられなかった私の気持ちは、外に出たら尚のこと、他人の怒りを買うだけだろうと、私は自分の行動パターンを決めてしまっていました。
義理の両親に対してもそうです。
実際変なのだから、自分に素直になれば良かったのかもしれません。
変だから縁切っちゃいましたってことも、周囲に隠さなきゃいけないと自分を追い込む必要も無かったかもしれません。
そのうち義父並みの変人に遭遇してもスルーできるくらいの「私」がいればいいけれど、これはとても難しいことです。
それはまた、カウンセラーとともに突き詰めて考えたい課題です。


先生は
「JJさんはいつもよく考えて、その結果どう感じたのかというお話をされますね。それが悪いと言っているんじゃないんですよ。そういう印象です」
と、最後に仰いました。
その時感じたこと、思ったこと、そういった生身の感情がなかなか出てこないということでしょうか。
私は活き活きと話すのが苦手です。
カウンセリングの数を重ねるうちに、カウンセラーにも「いい人」であると思われたくて、行動パターンを繰り返し始めているような気がしました。


もっと素直に自分の気持ちに耳を傾けよう。
泣きたいときは、泣けばいい。
まずはカウンセリングの場で練習していけばいい。

今回のカウンセリングで得たものは、それです。


メールをくれた友人には、その後、その話を素直にメールしてみました。
そうしたら彼女が電話をくれて、ゆっくり話をすることができました。
どうしたらいいと思う?という質問はまだしていませんが、近いうちにそんな話ができたらいいなと思っています。
  


2009年06月11日 Posted by JJ at 10:05Comments(0)カウンセリング

続・いい人

まず初めに。
今までいろいろと私の考えを書いてきましたが、もし読んでくれた人の中で何か感じたことがあれば、コメントいただけると嬉しいです。
もちろん強制じゃないですよ!
共感したり、違う意見を思ったり、いろいろあると思うんです。
それを、気が向いたら、書いて欲しい。
そうすることによって、感情的な喧嘩ではなくて議論することによる新たな発見や、お互い肯定された嬉しさもあるんじゃないかと思うので。

以前書いたIメッセージの彼女から、あの日の日記の感想をもらいました。
「確かにそうなんだけど…」
その後に
「また次にこういうことがあった時に、日記にあるような気持ちになれるか難しい」
ということでした。
私は自信を持ってあの日記を書いたんですが、ふと立ち止まって考えました。
読み返すと確かに、彼女のその時の気持ちを無視した考えです。
心の中に「私」がちゃんといるならば、その「私」の気持ちを無視せず、相手に伝えるということも必要なのかな、という新たな考えが生まれました。

これは私が一人で気付いたことではありません。
別の件で悩み、カウンセラーと突き詰めて考えた末に、新たに気付いたことです。

私は対等な関係でコミュニケーションを取るのが下手です。
自分で人間関係のシーソーのデメリットを理解していても、無意識のうちにそのシーソーへ舞い戻ってしまいます。
ラクだから。
ラクだけど、私の体はボロボロです。
度重なる抑圧で、先週何回吐き気止めを飲んだことか。
でも自分では何がそうさせているのかわかりませんでした。

今日、カウンセラーが

「いい人になる必要は、ないんですよ」

と、言いました。
私はいつの間にか、いい人になろうとして自分の気持ちにまた蓋をしようとしていた!と気付きました。
昨日の「いい人」という日記は、多分主人ではなく、自分に腹が立っていたのかも…
自分の気持ちをうまく周囲に伝えられなかったり、または周囲に何を言われても気にしない強さ、それが、無かった。
だから、私はいい人でありたいのに、という気持ちが、あの主人に対しての恨みがましい内容に現れていたんだなと思いました。


何だろう。
本当に、気付いても気付いても、気付かない部分があります。
悲鳴をあげたくなるほど、気持ちの行方がわからなくなります。
でも、少しずつ前へ進んで、また下がって、また進んでの繰り返しで、もう少し自分を信じて、やっていこうと思います。
  


2009年06月10日 Posted by JJ at 22:06Comments(0)AC