愛憎

今日は婦人科へ。
検査結果は全く問題無く、また耐えられないほど下腹部が痛くなったらその後はピルを飲むようにする、ということになりました。
あちこち痛かったり痺れたり、ヒステリー症状ってそういうものなんでしょうか。
その度に
「私の無意識とは?」
と、一生懸命考えます。
無意識なので意識にのぼらない部分の葛藤だと思うのですが。
それでも自分に(飽きもせず)向き合っていると、今まで見えていなかったものが見え始めている気がします。
何に対して悲しんだり怒ったりしているのか、そういうことは以前より整理されてきました。
気持ちの在りかって、その気持ちに対する苦痛を遠ざけようとする無意識が働けば働くほど、どこにしまわれたかわからなくなってしまうものです。
それでも、私が息子を大事に思うことと一人になりたいと願うこと(私にとっては苦痛)の間に葛藤(=罪悪感)があるのだと、体の痛みによってだいぶわかってきました。
また、さかのぼって、弟に対する愛憎も。
この感情はすごく似ています。
愛着を持った人に対して、きっと今までも私はこのパターンを繰り返してきたんだろうと思います。
息子に対しては本当にこのパターンにはまりこんだらマズいと思うから、多分体に症状が出るんだろうなぁと思ってます。
愛さなきゃいけないという自分を縛りつける気持ちが、逆に相手を憎む結果になるのは悲しいものです。
いや、憎しみを打ち消す気持ちが先にあって、愛さなきゃいけない、という気持ちが生まれるような気がしてきました。
これは人との付き合い方としては歪んでいると思います。
「この人を憎んではいけない」
そんな強制が自分の中にあるようです。
「怒ったら消えていなくなってしまうかもしれない恐怖」
私にはこれが絶えずつきまとっているんだろうなぁと思いました。


テキストは、144ページまで読みました。
今週中にはノート作りをしたいところです。
そんな楽しみがあるのは、本当に嬉しいことです。
こんなことは初めての感覚だから、大切にしたいです。
  


2009年09月30日 Posted by JJ at 00:59Comments(0)AC

まぁまぁな1日

忙しい方からしたら贅沢なんでしょうが…
今日は読書→勉強→散歩→整形外科と、そんな1日でした。
本当は経済的には働かなきゃいけないんですが、なかなか飛び込めません。
もしかしたら以前とはもう違うのかもしれないけれど、働いていた当時の疲労や不眠、時には円形脱毛症などの経験から、そんな不安が頭をよぎってしまいます。
子供を育てながらフルタイムで働いているお母さん、本当にパワフルで尊敬してしまう。
散歩は筋肉をつけるために歩いています。
そのお陰で足の痺れは半分以下になってきましたが、今度は腰が痛くなってきてしまい、整形へはリハビリに通ってます。

今読んでる本は
『フロイト』小此木啓吾 講談社学術文庫
私はユングもそうだけれど、フロイトに関してもほとんど(まったく)知識がありません。
他の精神科医の書いた本などでエディプスコンプレックスなどは知っていても、なぜ神経症の分析からフロイトがその思想に至ったのか、この本を読み、少しだけ理解できました。
そして、フロイトの生涯も、少しだけ。
また図書館でいろいろ借りて読みたいなぁと思っています。
神経症の分析って、本当に面白い。

今日は試験のテキストの通読は114ページまで。
後半分です。
終わったら、ノート作りと練習問題をやっていこうと計画してます。
  


2009年09月29日 Posted by JJ at 00:12Comments(0)AC

目標

2ヶ月先の目標を立てました。
ある試験を受けることにしたのです。
あきらめずに頑張れるでしょうか。
きちんと目標を立てて計画を練り、実践するのは初めてかもしれません。
いつも感覚に任せて突き進んでいたので。
昨日はその試験に向け、問題&解説集を50ページ通読しました。

私は来年、可能であれば、もう一度大学で勉強したいと思っています。
きちんと、日常に混乱せず、淡々と勉強をこなすということができなければ、とてもじゃないけど卒業なんて無理なので、まずはその練習のための試験です。
その大学(通信制)はレポート提出が2ヶ月ごとらしいので、ちょうど時間の感覚もつかむことができます。

どうして若い頃勉強が嫌いだったのか、その機会を棄ててしまったのか…過剰な自意識ゆえのことですが、もったいなかったなぁと思います。
  


2009年09月27日 Posted by JJ at 22:56Comments(0)AC

感想 続き

『自我と無意識』を読み終わりました。
ユング心理学の入門書として最適の書であると訳者が書いている通り、その基礎概念について丁寧に説明されています。
できるだけ平易に、予備知識を持たない読者に解き明かそうと努めたものだと。
それでも私の理解を超える箇所が多く、より細かな部分についての理解を深めるために、難解でしょうけれど、その他の著書も少しずつ読んでいきたいと思っています。

ところで『死ぬ瞬間〜死とその過程について〜』は、末期患者とその家族へのインタビューの部分で躓いてます。
本人のインタビューはまだいいのですが、その先残される家族へのインタビューがつらすぎて、なんだか本を閉じてしまいました。
再生不良性貧血である10代の患者の母へのインタビューは、感情移入しすぎてしまいました。
子供を失うことほどつらいことは無いと思います。
私の場合は他者(弟)と私自身の死の混同があると思うのですが、特に小さい人の死は読むだけでも悲しみでいっぱいになってしまいます。
他人の死への受容となると、まだまだ先の話になりそうだと、読みながら気づきました。
と言うか、むしろその悲しみの方が自分の死に対する感情よりも強いのでは?と、思い直しました。
子供の頃みた「池に落ちて沈みながら助けを求めている弟を助けられなかった私」という夢が、弟を失う悲しみと無力感を表す無意識なのだとしたら、池から救い出すイメージを作り上げることも、大切なのかもしれません。
事実、もう私は大人で、呆然と立ちすくむ子供ではないわけだし。
息子にその弟の姿を映し出しているならば、何かある度に罪悪感に囚われるのも、理解できる気がします(その罪悪感の要因の一部としても)。
こうした自己分析は危険な部分をはらんでいるとは思いますが(事実ユングはそう語っていたようです)、私にはこれもまた自己療法になるのではという希望を抱いています。
現在の問題のありかは遠い過去にあるのだから、それを掘り起こす作業が自分でできるうちは、しっかりやっておきたいです。
とても興味深いし。
いざ大変となったらカウンセラーも医師もいるわけで、そういう意味では良い時代に生まれたと感謝してます。

次は、小児性欲と集合無意識の見解の違い(だったか)で袂を別れたフロイトを読んでみたいなぁと思っています。
  


2009年09月27日 Posted by JJ at 00:37Comments(0)

意識と無意識

読みかけの本

『死ぬ瞬間〜死とその過程について〜』E・キューブラー・ロス 鈴木晶訳

『自我と無意識』C.G.ユング 松代洋一/渡辺学訳

まだ読みかけだけれど。
私の周りにある「死の過程」を考えてみました。
寝たきりの祖母、末期癌の伯母、同じく末期がんで縁を切ってしまった義母。
こういう人たちを前にした時、どう接したら良いのか、本当に悩みます。
と言うのは、死は病という宣告をされなくとも、誰もが辿り着くゴールだからです。
それでもその時期をある程度宣告されたら、誰でも動揺するだろうし、「なぜ私が選ばれたんだろう?」と自問するだろうと思います。
人は無意識のうちに「死ぬはずは無い」と思っているから、今を生きていられるんだと思います。
では、死ぬことは怖いことなんでしょうか。
著者は、死を受け入れる5段階があると言います。
否認と孤立→怒り→取り引き→抑鬱→受容、だそうです。
その際周囲にとって大切なことは、患者の意志と人間として「今生きている」ことを尊重する必要があるということです。
患者が死を受け入れた時、家族は静かにそれを尊重し、患者の望まない延命治療は施さないということや、それ以前の医者からの「発病後の死を前提としたこれからの選択」が患者主体で柔軟に行われることの必要性を感じました。
私は死に対する恐怖が強いのですが、それは幼い頃弟が病弱であったことに由来すると思います。
どこかに自責の念があり(私は至って健康でしたので)、弟が病気になるたびに不安に駆られました。
もしそれが自分の「死」と混同されたままであるとしたら、死への5段階は私にぴたりと当てはまります。
緩やかに、しかし確実に、それは姿を変えながら、私の心に留まっています。
物心ついた頃からそうでしたから、死を考えていない健康な人とのズレは当然生じるだろうなと思います。
もし死への5段階を私が緩やかに進んでいるとするならば、現在は4段階の「抑鬱」と5段階の「受容」の間ぐらいです。

私は現在平行してユングの『自我と無意識』を読んでいます。
死と同様、意識と無意識の相互作用に興味があるからです。
自己とは意識と無意識とで形成されるものだとユングは書いています。
これは自分の経験なのですが、比較的表層にあった死への恐怖に付随する弟への無意識の感情をヒプノセラピーにより無理やり意識へ潜り込ませた時、パニックを起こしました。
ユングの理論によるならば、意識がそれを受け入れる準備ができていなかったために、無意識を同一化できなかったのではないかと思います。
それ以降不安障害が表に顔を出し、苦労することがたびたびあったわけですが、多くの著書やカウンセラーの手を借りて、徐々に「受容」の段階へと進んでいます。
不思議なことですが、私にとっては「死」を受け入れるということが、「生きる」ということを初めて知ることのようである気がします(ただし、それは「死の恐怖」についてのみです)。
あとは、その長きに渡る死の宣告(の疑似体験)から受けたトラウマをケアする必要を感じています。
なぜなら、私は弟が何万人に一人と言われた先天性免疫不全ではないわけだし(結局誤診だったようだけど)、末期癌患者でも無いのだから、その過程で刷り込まれた無意識を軌道修正する必要があると思うのです。

どちらの本も私にとってはとても有益な内容で、死についての興味や無意識についても面白かったです。
  


2009年09月26日 Posted by JJ at 00:54Comments(0)

あきらめさせる気持ち

昨日ある方のブログを読みました。
その方はサラリーマンなのですが、物事をきちんと計画し、遂行する能力の高い方です。
情緒にブレが無いってこういう感じなんだろうと思いました。
すごく楽しそうに、日々を重ねている。
楽しそうにと言っても、いつも笑っているわけじゃありません。
反省したり、悔やんだり、焦ったりしながらも、充実した日々を送っている感じでした。
悲しい気持ちは書かれていなかったからわかりませんが、多分そういった気持ちもこの人はきちんと受け止められるんだろうなぁと、私はブログを読みながら思いました。

私が絶望的な気分に陥っている時は、もう34歳だし、残された時間は短い、万が一80歳くらいまで生きちゃったら、私はいつ死ぬのか毎日脅かされながら生きなきゃいけないのかな…やだやだ、という感じです。
『デッドマンウォーキング』と何ら変わりない心境です。
まさに、囚人。
私はなぜそんなに人生を諦めているのか、考えました。
「何をやってもうまくいく筈がない」
どうやらそんな自分がいるようです。
失敗したり挫折すると
「ほら、やっぱりできなかった」
と、その声は言います。
その声が怖くて自分を信じられ無くなっているんだと、気づきました。
いや、以前から気づいていたから、思い出したと言う方が妥当かもしれません。
なんだかそれにムカッとして、今日はある目的地まで延々歩きました。
5キロくらいだと思いますが、外出も歩くのも嫌いな私が、目的地を設定してダラダラ歩いたら、歩けました(当然なんですが)。
やればできるじゃん、という、小さな自信がまた生まれました。
嬉しい。
足の痺れはまだあるものの、ずいぶん足首を曲げられるようになったし、痛みもありません。
何より、ただ歩いただけで充実感を得られたことが、大きな収穫でした。
もう「あきらめさせる気持ち」の檻には入りたくありません。
頑張れ、私。
  


2009年09月22日 Posted by JJ at 19:11Comments(0)AC

やっと脱出(多分)

今回は低空飛行が約1ヶ月も続き、どうなることかと思いましたが、なんとなく落ち着いてきました。
私は休日が嫌いで、理由は、例え家族でも他人と長時間接していると疲れてしまうからです。
シルバーウィークなんて地獄のようだと思っていましたが、好きなように生活し(わがままに、というわけではなく)、主人と交代で昼寝したり、のんびり過ごしているから良いのかもしれません。
とにかく主人は休日となると「外出しなくちゃ」というタイプなので、時々それが苦痛ですが、引きこもり体質の私の要望を聞き入れてもらえてありがたいです。
右足が思うように動かないことも、いいのか悪いのか、だいぶ慣れてきましたし。

「私は何をしたいのかなぁ」と、この数週間何度も考えました。
実は私は「ほどほど」という感覚がわからなくて、昨夜も書きましたがお酒も飲み過ぎちゃうことが多いです。
だから、最近は飲むのを控えていました。
控え始めると、今度はお酒を飲んだら罪悪感に襲われるのではと怖くて、最近は飲むことができませんでした。
昨夜久しぶりに好きなだけ飲んだら、なんだかちょっと落ち着きました。
別に倒れるほど飲んだわけじゃありません。
飲んでも次の日ちゃんと朝早く子どもと起きて、それなりに休日を過ごせたことが、嬉しかったです。
そんな些細なことが自信に繋がるって、きっと健康な人からしたら考えられないかもしれませんが、私はそうです。
それで、ようやく「何がしたいのか」ということも、また見え始めました。
良かった。
絶望に浸りすぎて忘れていた「もう一度ちゃんと勉強したい」という気持ちを思い出しました。
また忘れないように、私には無理だなんて思わないように、きちんと記しておきたいです。
休日恐怖からも脱出できたと、思いたいです。
  


2009年09月21日 Posted by JJ at 22:36Comments(0)AC

不安障害

私は不安障害という障害が、自分にとってはすごく大きな問題だと思っています。
すごく神経質で(前回の日記でも文章がおかしくて本当は直したくて仕方無いのにPCが壊れているから簡単にできないのが本当に気持ち悪いです)、いろんな記憶が消えなくて、なのに日常の「些細な事」だけれど大切な事を忘れてしまう自分が嫌です。

足の痺れと痛みはストレスに関係すると、今朝実感しました。
昨晩なかなか寝付かない子どものそばにいる時と、朝から疲れてグダグダしている休日の主人を眺めながら洗濯物を干している時、痺れと痛みを強く感じました。
だからと言って、自分から息子や主人がいなくなったら寂しいわけで、私は自分の中にあるその問題にやっぱりきちんと向き合う必要があるなと思いました。
家族に依存しない自分、なかなか想像つきません。

今日は久しぶりにビールを飲みました。
飲み始めると必ず飲みすぎます。
私を酩酊させる記憶って、一体何なんでしょう。
昨年、無理やりそれをこじ開けようとしたら、パニック発作を起こしました。
それ以上は記憶を蘇らせてはいけないと、体が忠告しているみたいです。
記憶が伴う苦痛ももちろん嫌なものですが、自分の記憶が定かではない頃の苦痛もまた、嫌なものです。
正体がわからないのが、気持ち悪い。
私は自分が何に対して不満を抱いているのか、自分でもよくわかりません。
「ハグが足りないんだよ」
と、マッサージの先生が言いました。
確かに、そうなのかも。
両親に抱きしめられる幸せが、私には足りなかったのかな。
両親は私を愛していたと言います。
私はそうだっただろうとも思うし、そうではなかったんじゃないかとも思います。
同じように息子も考えてしまうかもしれないと思うから、余計に、不安になります。
多分、私の障害の元は、これなんだろうなぁと思っています。
でもそれを受け入れられるほど、悲しいことに、私は成熟していません。
これから先、私は成熟できるのでしょうか。

できる限り、頑張りたいです。
  


2009年09月21日 Posted by JJ at 00:12Comments(0)AC

『1Q84』感想の補足

『1Q84』の感想について、一つ大きな訂正がありました。
民間のシェルターが生まれたのが80年代前半だと書いたけれど、正しくは1993年でした。
10年も違ってました。
それより少し前、1991年「子どもの虐待防止センター」が発足されました。
(『「家族」という名の孤独』斉藤学)
バブル崩壊が1992年、オウム真理教サリン事件が1995年と記憶しています。
『1Q84』の中であゆみが
「地価が高騰し始めてる」
というような話をしていたから、1984年はバブル初期ということなんでしょうか。
となると、そういった問題に対する受け皿がまだきちんと確立されていなかった時代、ということになります。

小説にもある通り、アルコール依存やDV、子どもの虐待などの問題がそれまで無かったわけではなく、90年代に入るか入らないかという頃、より柔軟な(公的でない)それらの受け皿が必要となった、ということだと思います(オウム真理教もその一つであったと私は思います)。
バブルの頃を私はよく知りませんが、いろんなものが狂いに狂った時代だったのかなぁという印象です。
一方では好景気に狂喜乱舞し、一方では家族問題(暴力や摂食障害やアルコール・薬依存)が広がっていた世の中。
80年代とはバブルの好景気に忙しく、そういった問題に国の対応が追いついていなかった時代なのかなと思いました(今だって追いついているとは思えないけれど)。
そして、その傷の手当てに対して手をこまねいているうちに(というか、バブル崩壊でそれどころではなかったうちに)、オウム真理教という「悪しき受け皿」が膨れ上がった、そういう背景があるからこそ、村上春樹はバブル景気直前の混沌とした時代を描きたかったのかな…と思いました。
あの頃以前(終戦後から)、もし、戦前から続いてきた日本人の意識と無意識とのズレに気づく「誰か」がいたら、今のような世の中になったのかな、と、考えてしまいます。
ある意味、国を放棄した時(と言うのはアメリカ的民主主義を半ば無理やり導入した時)、その行き場の無い気持ちは自己に向けられたんじゃないかと思います。
一般市民が巻き込まれる「戦争」は1945年以来、日本では起きていません。
国に忠誠を尽くし、生き残りをかけた戦いに対する緊張は、既に必要の無いものになって久しいわけです。
その行き場の無くなった気持ちが自己に向かい、それが疑問を投げかけるとしたら。
「生きる意味とは」「充実した人生とは」
それらを問うことを否定し続けた結果が今なのかな、と思ったりします。
「小人閑居にして不全を為す」という言葉通り、小人である限り、「不全」が何なのか、「全」が何なのかなんてわかりっこない、というのが私の思いです。
私で言えば、心の隙間を埋めることに必死で、知らないうちに不全を為していたというような結果です。
閑居であるからこそ、個々が豊かな人生を送る、それが戦後からの課題であり、人間の無意識なのかな、と思いました。
(その集合的無意識が物語の中の「リトルピープル」ではないかと私は推測したのですが、果たしてどうなんでしょう)
無意識の作用で、必死に「善き選択」を模索しているのが、病的な部分を抱えた「現代」なのかもしれません。

素人の考えていることなのでいい加減ですが、『1Q84』はそんな読み方をしても面白いかなと思いました。
  


2009年09月20日 Posted by JJ at 22:03Comments(0)AC

『1Q84』あるいは『1984』

村上春樹の『1Q84』を読み終わりました。
面白かった。
実は私は村上春樹という作家が苦手で、小説を最後までしっかり読んだのは初めてです。
フィツジェラルドの訳本でさえ、なんだか退屈に感じてしまって(個人的には、ああいうモラトリアム人間が描かれる時、お堅い文章の方が内面の焦燥感に対して共感しやすい)。
オウム真理教信者のルポ『アンダーグラウンド』は読んだことあるけれど、ルポというよりも小説的で、私の興味を満たすものじゃありませんでした。
だから、『1Q84』は私にとって、初めて面白いと思った村上春樹の作品です。

以下、ネタバレを含んだ真面目な感想。
面白すぎて、いろんな推測をしてしまいました。


まず、象徴的なものばかりが出てくるわけですが(村上春樹の小説っていつもそうなんでしょうか?)、私は「2つの月が存在する世界」が実は「現実」で、心にずっと「つかえ」(もう片方の月?)を抱えた青豆と天吾の二人が、その2つの月が夜空に浮かぶ「現実」に気づくまでの物語ではないかと思いました。
2つの月はいろんな対になるものを示していて、それ(ものごとには二面性があり共存しているということ)に青豆や天吾は1Q84以前には気づいていなかったんじゃないかという推測です。
「空気さなぎ」もそう。
そのさなぎ(まゆ?)の中からふかえりが自分の分身を発見することも(実際には月が2つになったのを確認した時)、それもまた、その象徴である気がします。
リトルピープルは、「転機」。
それは善きことにも悪しきことにも姿を変える、人の気持ち(大衆のムーブメントのようなもの)なのかな…と思います。
とすると、めくらの山羊は『1Q84』すなわち村上春樹自身のことなのかもしれません。

なぜ設定が1984年だったのかは私にはわからないけれど、80年代前半は夫のDVにより傷ついた女たちのためにシェルターが作られた頃と重なります。
ほどなくして、DV男たちのための自助会も発足され、暴力を振るう男と暴力を振るわれる女が、「なぜだろう?」と自分たちを振り返り始めた年代だったんじゃないかと、私は思ってます。
だから、村上春樹は『アンダーグラウンド』を書いた時、90年代じゃなく、もっと以前から人間が抱えていた問題と内面の変化を細かく描く必要があると考えたんじゃないかと思いました。
それは時が断絶しているわけではなくて、終戦以降の、戦前から続いてきた人間の意識と時代の変化とのズレです。

『1Q84』の中で、編集者の小松がアリストテレスの言葉を用いて、ふかえりの小説を世に送り出す意義を天吾に説明している箇所があります。
ものごとの帰結は即ち善だと。
それが村上春樹自身の『1Q84』を世に送り出す言葉のような気がして、小説家として可能である「娯楽性を保ちながら、問題を世に問いかける」善を行ったということなんじゃないかと思いました。
「年末の紅白歌合戦はエロスを排除した学童期的な(男女の)遊戯」とは斉藤学の『家族依存症』に書かれていた言葉ですが、私は青豆と天吾はその「大衆」的欲望を表すための男と女であったんだろうと解釈しました。
一つ疑問に思ったのは、なぜ自殺した(しようとした)のが青豆であって天吾じゃないのか、という点です。
私が村上春樹という作家を苦手であるのは、もしかしたら、男性性の持つ弱さを隠そうとしているように感じるからなのかもしれません。
男性の闘争本能は、戦いに敗れた時、服従という屈辱を与えます。
それに耐えられるほど(理解できるほど)天吾は成熟していたのでしょうか。
それに天吾は被暗示的な人間です。
(もしかしたらオハライで強くなったとか?だとしたら、それは都合が良すぎる)
反対に青豆は、自分の中の女性性に希望を見出したのだから、本能的に死ぬわけがないだろう、というのが、私が唯一抱いた違和感。
(だから、死んでないかも)
もしくは意図的に、その男女の内にある闘争本能の変化を描いたのかもしれないから、何とも言えないのですが。
草食系男子と肉食系女子の対比というか。
娯楽性の高い小説だからそんな深く考えなくてもいいのかもしれませんが、そんな疑問や違和感を考えることも、私は楽しかったです。

『1Q84』はそんな風に後々までいろんなことを思わせる、不思議で面白い小説でした。


※もし青豆の章が天吾の小説だとしたら、ただの一人の男の自立するまでの物語になってしまうから、そうだったらつまらないなと思いました。
※あくまでも私個人の感想です。
  


2009年09月19日 Posted by JJ at 14:27Comments(0)

母と子

お母さんってあったかい存在ですか?
私は息子のことがとても大切です。
お調子者で可愛くて、覚えたての言葉でいろんなこと話してくれて、こんなに素敵な子がうちに来てくれて本当に嬉しいなぁって思っています。
なのに、イライラしていると息子から離れたくなるし、最近は怒鳴ることは無くなったけど、冷たい言葉をかけてしまう。
機械のように、ご飯を作って、お風呂に入れて、寝かしつけ、保育園の送迎をするのが精一杯。
こんな私が本当に嫌いです。
そして、子供の行動に対して私がイライラした時、
「お母さん役なんて降りたいな…」
と思っている自分に気づきます。
斉藤学先生は
「お母さんとは子供を愛したり、時には憎んだり、そんな風に『ほどほどの良い母』であればいい」と書いています。
私はほどほどに良い母なんでしょうか。
私には極端な二面性があります。
大事だよ、愛してるよ、と子供を抱きしめる私と、冷たく突き放す私です。
私はそんな自分に押しつぶされそうで、すごくつらいです。
いつもお母さんを演じている気分。
私が私の子供だったら、どうなんだろう?
私のことをいつ怒るかわからないお母さんだって、戸惑うかも。
でも愛してるよって言われたら、混乱しないかな。
成長してから、人を愛するって何だろう?って疑問に思わないだろうか。

私は、私を、家族を、他人を、愛する方法を勉強している最中です。
それは机上の学びよりはるかに簡単なことなのに、体感することが、何よりも難しいです。
肯定、肯定、全肯定、だと、斉藤先生はある方に仰ったそうです。
私もいつの日か、そう思えるようになれるんでしょうか。
そう、なりたいです。
  


2009年09月17日 Posted by JJ at 10:01Comments(0)AC

身体表現性障害

身体表現性障害って、昔でいうヒステリーらしいです。
感情表現がうまくできずに、体に現れる、ということかな?
私の場合は
足の疼痛、下腹部痛、胃痛、吐き気、関節痛、左下背部痛み、頭痛、胸の圧迫感、喉の詰まり感、耳鳴り、動悸
まぁ、なんとたくさん。
足の疼痛以外は日によって部位が変わるので、心因性なんだろうとは思っていますが、きちんと医者(精神科)にかかっていないから、わかりません。
困っていることは、カウンセリングを受けてから酷くなってきたことです。
来週またカウンセリングなので、その事を相談しようと思っています。

話は変わって、ある方から素敵なプレゼントをいただきました。
それは「イクラ」です。
その方は厳しい鮨職人であるお父様の元で修行し、暖簾分けしたお店で現在ご主人として頑張っていらっしゃいます。
知名度も、価格も、高いお店です。
そんな人と知り合いだよ、という自慢を私はしたいわけではなく、私は彼らの「本物」に対する執着心に強く惹かれていて、その嘘の無い鮨に、つい涙が出てしまうような様々な思いがあるのです。
「イクラ」を送ってくださったご主人は、きっと、お父様よりも大きなプレッシャーを背負って新しいお店を構えたことだと思います。
丁寧に仕事をする様子は、もしかしたら、自分の中に取り込んだお父様の姿かもしれません。
しかし、継承とはそういうものなんだとも、思います。
だから私は、彼の握った鮨をいただく時、もしくは送っていただいた干物やイクラをいただく時、嬉しさと同時に切ない気持ちになるんじゃないかと思います。
私は継承することを選択したということだけでもすごいことだな、と思ってしまいます。
そのお陰で、本物が食べられる幸せ。
切なくも幸せな「イクラ」、たくさんの努力の元で仕込まれた「イクラ」、今晩大切にいただきます。
美味しそう。
  


2009年09月16日 Posted by JJ at 15:47Comments(0)AC

また、共依存について考えてます。
共依存とは
「愛されている必要のある人」

「愛されている必要のある人が必要である人」
との間にある関係で、互いの心にある空虚をその「愛」で埋めているんだと思います。

例えば母親が不幸であると子供が感じた場合、その母親は
「愛されている必要のある人」
と子供は認識し、その共依存関係に取り込まれていきます。
その子供は成長する過程で立派な「愛されている必要のある人が必要である人」に成長するわけですが、両親以外の人間関係の中でのコミュニケーション方法も共依存関係を踏襲したものなので、つまづくことも多いのではないかと思います。
そして、そこから生じる不安を解消する為に、物質的な依存対象を見つけます。
人間関係の中では親の真似をして、時には「愛されている必要のある人」を演じ、時には「愛されている必要のある人が必要である人」を演じるようになるのではないかと、私は思っています。

私は昨日、「何かの依存の上に立たなくてもすぐそばの人に愛されているということ、そしてその依存にハマっている姿を見て苦しいと感じるならば許す必要はない」
と、家族が知ってくれたらどんなにいいかと、思いました。
私は自分の今の家族を大切に思います。
だから、お互いがお互いを犠牲にしないような、そんな関係になりたいです。
息子との関係は本当に難しいけれど、今日、そんなことを考えました。
  


2009年09月15日 Posted by JJ at 23:38Comments(0)AC

私の家

自分の育った家庭を思い出す機会がありました。
最近自分のことで忙しかったので、忘れてました。
少しずつ囚われなくなってきているのかな。

私は私の家族を「機能不全家族」だと思っています。
とは言え、他の家族を知らないので、実際機能不全なのかどうか、わかりません。
でも、おかしいだろ、とは思います。

こんな感じ↓
おじいちゃんは月に一度東北へ出張へ行っていたけど、実は愛人が東北にいた。
最近明らかになったけど、どうやら神奈川県にも愛人がいたらしく、今は近所の別の愛人宅へ身を寄せているので、かつての愛人たちへは送金をしているらしい。
とにかく、愛人だらけ。
おばあちゃんはずっとおじいちゃんの浮気を知りながら見知らぬ地で商売と家事育児を切り盛りし、でも神経症で家からほとんど出なかった。
今は脳梗塞で寝たきり。
念仏みたいに自分の実家の話ばかりしていた。
特に兄も姉も勉強ができたのが誇りで、近所の住人を貧乏で知性が無いというような感じでバカにしながら恨んでいた。
父は浮気症で、なおかつそれを母も知っているし、その浮気相手を母がわかっている場合もある。
親子でオープンにそれを笑い話や皮肉として話すこともある。
私が肌荒れの酷いときに基礎化粧品を買おうと思っていたら、父が先回りして、ネズミ講をやっていた父のお気に入りの女性から5万分ほど化粧品を買って、私に寄越した。
その時私は泣いて大暴れした。
悲しくて。
既に私は24歳だったのに。
若い頃父は短気で、母が従業員の前で殴られたこともあるし、私たち子供も、もちろんある。
私は反抗していたので、最高20発ほど蹴られた。
その瞬間殺してやろうかと思うこともあったけど、最悪なことに、父は時々すごく傷ついた顔をするから、なぜか日常的には慰め役もやらなければならない。
母は父がしょうもない男なのに離れない。
食卓でバカにされたり文句を言われたりしながらも、離れない。
母の実家のことも、父はよくバカにしてたのにな。
何でか不思議。
でも、愚痴はよく言ってた。
と言うか、家族中互いに愚痴を言っていた。
全体的に見栄っ張りで小心者。
でも、愛情が無いわけじゃない。
自分勝手な愛情だけど。
よその家とは違う、うちは知性がある、と信じている。
父は太宰治が嫌いだと言っていたけど、文学青年的かつ刹那的ナルシスティックな部分が似てる。
似てるから、嫌いなのかも。
(もう64歳だけど青年…)
互いに、仲の良い夫婦、だという。

こう書くと、やっぱり変。
普通の、穏やかな家庭って、どんな感じなんでしょう。
想像つきません。
祖父母もおかしいから、穏やかに過ごしているじいじばあばに出会うと、その差にびっくりします。
何が普通で、何が異常なのかもわかりません。
この程度のことは普通なのかしら。
よくわかりません。
  


2009年09月15日 Posted by JJ at 01:12Comments(0)AC

痛み

婦人科系の痛みに関することです。
先日下腹部痛で婦人科を受診したのですが、先生がエコーで見たところ異常は無かったそうです。
血液検査もしているのですが、その結果を聞きに行くのは月末。
子宮内膜症なのかな、という不安もあるけれど、結果を聞くまでは何とも言えません。
子宮や卵巣の腫れがあるわけじゃないから、痛いときは鎮痛剤を飲むように言われました。
ただ、排卵前後や生理前はかなり痛みます。
もちろん「何らかの症状による痛み」なのかもしれませんが、私は形を変えたパニック症状のような気もします。
なぜなら、強烈な痛みと共に不安でいっぱいになり、動悸も激しくなるからです。
誰かにそばにいて欲しいと強く思います。
これって斎藤先生の言う「耐え難い寂しさ」に耐えられないから起こるのかな、と思いました。
誰だって痛くて動けない時は他人のお世話になることもあるだろうとは思いますが、まずは鎮痛剤を飲んで横になるとか、その瞬間そういった冷静さを私は失いがちです。
今日はまず、
イブを飲み(ロキソニンもあるけど、なんとなく)
痛みは必ず治まると自分に言い聞かせ
息子リクエストの晩ご飯の支度を中断し
依存かもしれないと思いつつ、ブログを書いて頭を整理
してます。

かなり小さいことだけど、混乱せずに対処できている自分を褒めたいです。
以前は頭真っ白になっていましたから。

一つ気になったのは、他者のトラウマ体験を読んだ後にそんな状態になったことです。
私は子供を産んでから性的な嫌悪感が酷く(性的虐待などを受けたわけではないのですが)、最近自分の女性性を否定する自分がいることに気づきました。
それが下腹部の痛みに関係する、重要なことであるような気がしています。
  


2009年09月14日 Posted by JJ at 15:18Comments(0)AC

最近読んだ本より

気になっていた畠山鈴香の本を読んでいます。
『橋の上の「殺意」 畠山鈴香はどう裁かれたか』鎌田慧 平凡社
9月27日にこのルポライターと斎藤学が公開対談を行います。
すごく興味あるけれど、諸処の事情により、行こうかどうしようか悩んでいるところ。

まだ途中だけど、読みながら、畠山鈴香も適切な治療を受けていれば殺人など犯さなかったかもしれないなと思いました。
事件後PTSDなどで不眠や体調不良を訴える住民が現れたらしいけれど、秋田という地方の田舎では、ストレスを抱えること自体抑圧しがちだと、鎌田慧は書いています。
私は秋田じゃなくても、精神的な部分に関して風通しは良くないのではないかと思うのですが、どうでしょうか。
落ち込みやつらい気持ちなどを素直に表現しづらい世の中のような気がします。
以前は、カウンセリングをしょっちゅう受けている(ように見える)アメリカ人を笑っていたけれど、そのくらい大げさでもいいのかもしれません。
私が『そちら側』になってみて、思ったことです。
なぜなら、辛かったり悲しかったり落ち込んだりすることは、人間の感情の一部だからです。
だからと言って、人生全体がつまらないものになるのではないと、私は今気づいています。
無理しなくていい時もあるかな…と。
そして、聖域である家族の問題。
過労死、引きこもり、不登校、イジメに虐待、離婚増加に少子化、これだけ社会問題として現れているのに、なんで当の『育ってきた土壌である家族』にスポットが当たらないのか、すごく不思議です。
第三者が介入しにくく、また、やはりどこかで『家族はこうあるべき』という画一化されたイメージが個々人にあるんじゃないかと思いました。
最近斎藤学に首ったけなので、ここ数日で彼の著書を3冊読みました。
彼の処女作『家族依存症』は1987年に書かれているから、もう20年前のものなのに、今社会問題となっていることに対して既に答えを出しています。
面白かったです。

畠山鈴香は事件を起こす以前に自ら精神科を受診しているようです。
なのに、未然に事件を防げなかったということは、治療が適切でなかったということではないでしょうか。
どこかで本人が気づいていたのに、それをすくいとる力が専門家になかったということは、とても不幸で残酷なことです。
私は、自分が精神科医に言われた言葉を、また、思い出しました。
あのまま治療を断念していたら、私には生きるという光が見えなかっただろうな、と思います。
畠山鈴香の犯した罪は確かに重いけれど、果たして責任は彼女にだけあるものなのだろうか、と思いました。
  


2009年09月13日 Posted by JJ at 02:05Comments(0)

揺らぎと躾

カウンセリングなどを受けて気分が上向きになると、その反動で翌日から次第に気分が下がってきます。

ブログやコミュニティーのトピックに書き込んだことに対して、自己嫌悪です。
困った癖です。
まぁいいやって何で思えないんだろう?と、不思議に思います。
多分、嬉しくて感動して安心した状態を子供のように喜んで披露している自分が馬鹿みたいに見えるんだと思います。
ものすごく恥ずかしくて、消えてなくなりたい気分です。
こんなことはしょっちゅうあるんですが。
そんな時「何でだろう?」と考える新たな癖もついてきたので、自暴自棄にはなっていません。
不安や恥ずかしさって、他人より先回りして思ってしまうものなんだなと思いました。


子供の躾について思ったことがあります。
私は躾のために叱るということがわからなかったので、きちんとメモしておこうと思います。

躾は子供を虐めることじゃない。
未来に向かって共に努力すること。
その過程で子供からの無理な要求を断ることは、虐めではなく、共に必要な努力。
ただ、なぜ断らなければならないのかをきちんと話して聞かせ、その時子供が泣いても騒いでも、達成できた時は共に喜ぼう。

そんな感じです。
ごく普通のことかもしれないですが、私はその子供との距離や未来すら、わからなかったのです。
  


2009年09月11日 Posted by JJ at 10:55Comments(0)AC

変更

数日考えて、カウンセリングの場を変えることにしました。
家族問題を専門に扱っているところです。
今までの大学が悪かったのではなく、より専門的に、机上の心理学ではなく、柔軟に対応してもらえる方がいいのかもしれない、と思ったからです。
家族の分だけ、問題もあると思うので。
それに、右足が痺れたままなので、長く車を運転できません。
そんなわけで、電話カウンセリングにしました。

電話カウンセリングにして良かったことは、きちんとメモをとって、電話を切った後で考えることができた点です。
そして、被虐待者が加虐待者になることも有り得るということを踏まえて、自分の子育てに関して的確にアドバイスをしていただきました。
そこで気づいたのは、息子に叱ることのできない私です。
叱ることができないから、溜まって溜まって感情的に怒っている自分に気づきました。
ではなぜ叱ることができないのかというと、それは私の母に対する記憶が邪魔するからです。
母はヒステリーを起こすと長引く人で、翌朝も無視されることがたびたびありました。
悲しい気分のまま保育園なり学校へ行っていたことは、私にとっては本当に嫌な記憶です。
だから、息子を叱る時に母のようになっていないか不安になってしまい、きちんと叱ることができないのです。
でも、結果的にはヒステリーを起こしてるんだから同じですけどね。
そこで、もしまた怒鳴ってしまうことがあったら、その場合のその後の子供に対するケアを教えていただきました。
一応下手なりにも怒鳴った後には反省して息子とコミュニケーションを取るように心がけてはいたのですが、果たしてそんなんでいいのか不安だったので、それだけでもずいぶん私は気が楽になりました。
私は子供に怒鳴った後、かなり酷く自分を責めているということを、今日初めて気づきました。

あと、私は記憶がある以前(3歳以前)に弟の入院と共に母が半年近く不在であった期間があります。
そういった私の意識に上らない記憶は、解体していくのが難しいようです(多分)。
けれども、パニック発作の状態を話した時に
「死の恐怖を感じましたか?」
と聞かれ、
なんだかホッとしました。
確かに死の恐怖を感じました。
でもどこへ行ってもそんな質問誰も言ってくれなかったなぁと。
それに、誰の死を怖がっているのかわからなかったから、余計不安でした。
自分なのか、弟なのか…
今も明確にわかっているわけじゃないんですが。
ただ、新しく「誰の死を怖がっているのか」という問いが生まれました。
これから一人で考え、それを消化する時間も必要とのことで、とりあえず隔週でのカウンセリングとなりました。


関係ないんですが、精神科巡りをしていた時のことを話していて、また泣けてきました。
やっぱり私は
「今日が来て明日が来る、それじゃいけないの?」
と言った医者と
「ここはあなたみたいな人じゃなくて、統合失調症のような方が来る病院だから」
と言った医者が大嫌いです。
本当に傷ついたし、金返せ〜!って思います。
病院選びは本当に難しいです。
  


2009年09月10日 Posted by JJ at 22:54Comments(0)カウンセリング

再び、自分を信じる

人を信じられないことほど、孤独なことはないと思う。
苦しくなるとみる夢は、狭く小さな町で兄弟のように育った同級生たちが必ず登場する。
私はいつまでも彼らに溶け込めず、一人笑いながら孤独を感じている。
疎外感。
疎外感という言葉がぴったりだ。
実際疎外されていたのかどうかは、わからない。
場所が変わればこの気持ちから逃れられるだろうと思ったけれど、どこへ行っても受け入れられているとは感じられなかった。
だから、実際疎外していたのは、他ならぬ自分だったんだと思う。
自分をずっと、信じていなかった。

今は気分の高揚があるわけではないけれど、なんとなくこれでいいのだと思うことができる。
また新しい山に登り始めたということだ。
本当に、人格を成長させたいと思うことは人生の内でも一大作業。
私はまた山から転げ落ちても、這い上がれるだけの体力が自分にあることに気づいた。
支えてくれる、既にゴールに到達した人とも巡り会えた。
求めたら、答えが帰ってきた。
ただ、それだけのこと。
救われたいと思っているのに求めない人を、私は批判しようとは思わない。
変化が怖いのは、当然のことだから。
でも、私はまたその闇に吸い込まれてしまうんじゃないかと、怖くなる。
だから、ただ、ただ、「その時」を待つだけ。
「その時」が来たら、ゴールはあるんだから私と一緒に頑張ろうって、言えるのはそのくらいだけど。

苦しんでいる人たちに、少しでも光が届くといいな。
私の目指している光が、彼らにも見えているだろうか。
近くて遠い光。

私も光に向かって、あきらめずに進みたい。
  


2009年09月09日 Posted by JJ at 23:58Comments(0)AC

新たに気づいたこと

昨夜、寝るときに息子が
「ほいくえん きらい」
と言い出しました。
気まぐれかなとも思うし、何かヤなことでもあったのかなとも思いました。
その後に
「ぼくのおなかには ちいさいかいじゅうさんがいるんだよ。おなかのなかに。せんせいがいいこいいこしてくれたの、かじゅうさんに。かいじゅうさんはやさしいんだよ」
とそんなことを話し始めました。
ちょっと考えて、
「お母さんもお腹の中に大きい怪獣さんいるよ。みーんな怪獣さんいるんだよ」
と言っておきました。
私の考えすぎかもしれないけど、ひょっとしたらイラつきとか退屈などの怒りに似た感情の抑えを怪獣として表現しているのかもしれません。
つまりそれは、「抑うつ」と呼ばれるものじゃないかと、私は思いました。
1歳後半から自己主張を始め、それに対して親や周囲からの規制が入り、抑うつ感情が生まれるとするならば、専門家じゃないからわからないけれど、発達段階ではあってもおかしくないんじゃないかと私は思います。
もし本当にそうならば、それを自覚して肯定できているって、すごく喜ばしいことです。
人はその「怪獣」を起こしたり寝かしつけたりしながら、一生を過ごすものだと思うから。
ここのところ「家族の心理」について没頭していたので、つい息子のそんな言葉が気になりました。
子供はいろんなことを吸収しているし、日々いろんな感情が発達しています。
怪獣が何であれ、保育園で先生にいい子だねぇと慰められてそれが静かになったならば、その時に息子がプラスとマイナスのイメージを同時に掴むことができたという事が、私は嬉しいです。
集団生活は楽しくもありつまらなくもあるという、両面を持ち合わせているものだと思うので。

と、そんな風に掘り下げて考えている自分を省みて、私はつくづく人の心理に興味があるんだなぁと思いました。
時間とお金ができて、いろんな余裕ができたら、ちゃんと勉強したいです。
私は短大を2回中退しています。
あの頃は資格のための学歴というものに対して強く嫌悪しつつ抗えない自分がいたけれど(結局自分が潰れてしまった)「大学名ではなくて、どこにいても勉強したい時に勉強できるのが人だ」ということを、今、理解しました。
これは高校1年生の時に担任の英語教師が言った言葉です。
今まで忘れていたし、当時は無視していました。
つまり、怪獣を起こすでも寝かすでもなく、閉じこめていたということです。
ずいぶん回り道してしまいました。
と言うか、34歳になるまでうろうろしてしまいました。
そう思うと、主人に出会い、息子が生まれなければ、真の悩みを考えることなくずっと鬱々と暮らしていたということです。
人との出会いは、化学反応のようだなと思います。
ある人と接することによって新しい気持ちが生まれ、新しい自分に気づく。
その繰り返しを、大切にしたいです。

そんなことに気づいたので、覚え書きです。
  


2009年09月09日 Posted by JJ at 13:12Comments(0)AC