『1Q84』感想の補足

『1Q84』の感想について、一つ大きな訂正がありました。
民間のシェルターが生まれたのが80年代前半だと書いたけれど、正しくは1993年でした。
10年も違ってました。
それより少し前、1991年「子どもの虐待防止センター」が発足されました。
(『「家族」という名の孤独』斉藤学)
バブル崩壊が1992年、オウム真理教サリン事件が1995年と記憶しています。
『1Q84』の中であゆみが
「地価が高騰し始めてる」
というような話をしていたから、1984年はバブル初期ということなんでしょうか。
となると、そういった問題に対する受け皿がまだきちんと確立されていなかった時代、ということになります。

小説にもある通り、アルコール依存やDV、子どもの虐待などの問題がそれまで無かったわけではなく、90年代に入るか入らないかという頃、より柔軟な(公的でない)それらの受け皿が必要となった、ということだと思います(オウム真理教もその一つであったと私は思います)。
バブルの頃を私はよく知りませんが、いろんなものが狂いに狂った時代だったのかなぁという印象です。
一方では好景気に狂喜乱舞し、一方では家族問題(暴力や摂食障害やアルコール・薬依存)が広がっていた世の中。
80年代とはバブルの好景気に忙しく、そういった問題に国の対応が追いついていなかった時代なのかなと思いました(今だって追いついているとは思えないけれど)。
そして、その傷の手当てに対して手をこまねいているうちに(というか、バブル崩壊でそれどころではなかったうちに)、オウム真理教という「悪しき受け皿」が膨れ上がった、そういう背景があるからこそ、村上春樹はバブル景気直前の混沌とした時代を描きたかったのかな…と思いました。
あの頃以前(終戦後から)、もし、戦前から続いてきた日本人の意識と無意識とのズレに気づく「誰か」がいたら、今のような世の中になったのかな、と、考えてしまいます。
ある意味、国を放棄した時(と言うのはアメリカ的民主主義を半ば無理やり導入した時)、その行き場の無い気持ちは自己に向けられたんじゃないかと思います。
一般市民が巻き込まれる「戦争」は1945年以来、日本では起きていません。
国に忠誠を尽くし、生き残りをかけた戦いに対する緊張は、既に必要の無いものになって久しいわけです。
その行き場の無くなった気持ちが自己に向かい、それが疑問を投げかけるとしたら。
「生きる意味とは」「充実した人生とは」
それらを問うことを否定し続けた結果が今なのかな、と思ったりします。
「小人閑居にして不全を為す」という言葉通り、小人である限り、「不全」が何なのか、「全」が何なのかなんてわかりっこない、というのが私の思いです。
私で言えば、心の隙間を埋めることに必死で、知らないうちに不全を為していたというような結果です。
閑居であるからこそ、個々が豊かな人生を送る、それが戦後からの課題であり、人間の無意識なのかな、と思いました。
(その集合的無意識が物語の中の「リトルピープル」ではないかと私は推測したのですが、果たしてどうなんでしょう)
無意識の作用で、必死に「善き選択」を模索しているのが、病的な部分を抱えた「現代」なのかもしれません。

素人の考えていることなのでいい加減ですが、『1Q84』はそんな読み方をしても面白いかなと思いました。


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2009年09月20日 Posted byJJ at 22:03 │Comments(0)AC

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